漢字は、文字表記として ふくざつすぎるために、さまざまな文字弱者を 排除し、抑圧している。
もちろん、漢字を なくせば 文字弱者が いなくなるわけでは もちろんない。だが、おおきく改善することが たくさんある。
わたしが「漢字という障害」という論文で指摘した漢字弱者は、非識字者や識字学習者、盲人、弱視者、ろう者、中途失聴者、読字障害を もつひと、知的障害者、日本語学習者です。
そうしたひとたちが文字情報にアクセスする権利を うばっているのが、いまある日本語表記に ほかなりません。漢字が障害となる どあいは、それぞれ ことなっています。けれども、なんらかの かたちで、漢字は障害として はたらいているのです。
単純に言って程度問題である。漢字は確かにそれが読めない人を排除するが、仮名のみに制限したところで精々排除範囲を狭くする程度の効果しかない。日本語で表記すること自体が日本語を読めない人たちを排除することである、という点には同意頂けると思うが、だから全部英語で書くべし、などという主張が通るかどうか。仮に通ったとして、今度は英語を読めない(例えば私のような日本語ネイティヴな)人の排除はどうするのか。
無論、程度問題として「漢字の複雑さ」という要因はあるだろう。しかし例えば(言語としては比較的単純と言われる)英語でもスペルの複雑さというのは避けられない問題であり、漢字の複雑さはそれと同程度の問題に過ぎない。言語の持つ特質として、そうした複雑な表記はある程度の水準まで増加する傾向があり、これは限られた音節リソースの中で可能な限りネームスペースの重複を避け異義語の区別を可能とするための工夫と言える。率直に言えば複雑表記の排除というのは、それと引き換えに混乱を齎すものに他ならない。
それよりはもう少し現実的な解として、日本語にはルビというシステムが備わっている。今までは主に漢字弱者層たる幼児向けか読みの難解な漢字にのみ振られるものであったルビだが、デジタルデータ全盛期にあってはあらゆる漢字へのメタデータとして自動付加することも不可能なことではあるまい。変換に伴って読みが自動で入力され、必要に応じてルビ表示を切り替えられるような。
ところで今回、敢えて全ての漢字にルビを振ってみたところ、ソースコードはとても読めるような代物ではなくなった。従ってこの記事に間違いなどがあっても、直接修正することはない。
ルビ非対応なブラウザで御覧の方は漢字の後にいちいち括弧付きで読みが表示されて大変鬱陶しいかと思う。申し訳ないが対応ブラウザで御覧戴くかユーザスタイルシートで工夫されたい。なおFirefox向けにはルビサポート用の拡張機能が存在する。
弱者への配慮は無論必要なことではある、がそれも場合によりけりであって、著しく利便性を損なってしまっては著作活動そのものが続かない。それでは本末転倒である。
完全に平仮名のみであればルビを振る労力は省ける、が漢字混じりでない文章を推敲しながら書くのはかなり苦痛なことでもある。恐らくは漢字弱者が漢字混じり文を読んでそう感じるように。