リスクとベネフィットの対象不一致問題

あらゆる選択には、それに伴うリスクとベネフィット、つまり損失可能性と利益可能性がある。それらは(確度が高いとしても)確定的ではない。だから利益性の最大化を目論見つつ、万が一の際にできるだけ損失を抑えるような選択が求められる。
ただし、これが通用するのはリスクとベネフィットの対象が一致するときだけだ。「リスクは負うがベネフィットを得ない」あるいは「ベネフィットは得るがリスクを負わない」人が意思決定を迫られると、当然ながら自分に直接関係する部分だけに着目して判断することになる。「リスクは回避されるがベネフィットは少ない」ならまだ良し、「ベネフィットは最大化されるがリスクも大きい」だと困ったことになろう。


実際にリスクとベネフィットが完全分離する状況など有り得ない。しかしどちらかが直接的で、どちらかが間接的という例は充分に成立する。
ベネフィットが即時発揮されるのに対してリスクが遅延するケースとして横領などを挙げよう。横領の瞬間に金銭としてベネフィットを得ることができるが、リスクは発覚まで遅延する。
またベネフィットが全体に与えられ(ることを通して自身にも及ぶ)のに対してリスクは代表して負わねばならぬケースも多い。そういう例では往々にして責任者が多くのベネフィットを得るよう工夫される筈だが、リスクと比較して充分であるとは限らない。
世間の抱える構造的問題の大半はこの辺りにポイントがあるのではないかと思う。例えば年金問題は、自治体レヴェルで見れば積み立てと給金で釣り合いが取れているかも知れないが、現に払っている人から見れば「払った分が得られる保証がない」ということになる。リスクが確定しているがベネフィットが不確定な状態である。
あるいは予防接種忌避は、「自分が/家族が副作用で重篤化する」という想像可能なリスクばかりが強調され、「罹患しない/しても軽度で済む」「周囲への感染可能性を抑える」というベネフィットが見えないことによる問題と言える。
医療訴訟もその線上と言えそうだ。訴える側の直截的ベネフィットは「保障が得られる」であるが、その代償として「医療そのものが萎縮する」という重大なリスクについては勘案されていない*1

*1:過失の責任は何らかの形で取られるべきだが、それは医師個人ではなくその雇用団体に対するものとなるのが妥当ではなかろうか