「モノを売る」と「体験を売る」の差

一連のMacBook Airに対する評価の差は、何を主体と見るかの差じゃないかと思っている。


「モノづくり大国」日本のメーカはどうも「体験を売る」という概念が理解できていないように思う。彼らは「しっかりしたモノ」さえ作れば売れると思っているようだが、それはちょっと違うのだ。
人は商品に何を求めているのか。商品それ自体の価値ではない、それを買う/使う/見せる……ことによって手に入れられる体験の価値を求めているのだ。
たしかに、しっかりしたモノ作りは、その体験を後押しするのに有効な手段ではある。しかし、そもそも体験を念頭に置かない設計では、いくらしっかりしたモノを作っても後押しすべき体験がない。


Appleは決して技術力で抜きんでたメーカではない。ハードウェア実装では日本の家電メーカの方が上かも知れないし、ソフトウェア設計で言えばGoogleMicrosoftの方が質の高い技術者を多く抱えているかも知れない。
けれどもAppleが注目され成功しているのは、彼らが徹底して「体験」を重視しているからだ。外見を真似することはできても、体験をコピーするのは容易ではない。(同じく体験を最大の売りとする)ディズニーランドが追随を許さぬように、Appleは他社の追随を許さない。シェアでは10倍の開きがあっても、Microsoftには真似できないものがあるのだ。


近年、デザイン分野で支配的な概念が「ユーザ中心デザイン(UCD)」であるが、UCDに於いては技術的な実装をあまり問題視しない。ユーザに最高の体験を提供するために、裏側で効率の悪い設計をせざるを得ないとしても、それは技術的にシンプルで信頼性の高い設計にするためにユーザ体験を犠牲にするよりも正しいことである、という考え方だ。
敢えて高信頼性を第一に置く場面はある、しかしそれは高信頼性こそが最高のユーザ体験である場合だ。技術は手段であって目的ではない。あくまで、あらゆる技術的手法は最高の体験という目的のためだけに尽くされねばならない。