客観からは見えないもの

Apple伝道師である林氏によるMacBook Airのレビュー(MacBook Airから見える新しい風景 (1/4) - ITmedia PC USER)が物議を醸している。レビューにあるまじき客観性のなさ故だ。
なぜこのような記事を書いたかについては、氏のBlogエントリで解説がある。一言で言えば、客観性の欺瞞を乗り越えるべく偏った視点を打ち出したということだ。
本質的な意味での客観性不在については説明の要もあるまいからさて置くとして、本稿では「レビューに於いて客観性は必ずしも必要充分条件たり得ないのではないか」という話をしてみたい。


レビューの目的が「製品の特徴を正しく伝えること」であるとすれば、実は「客観的かどうか」は二の次、製品の利点と欠点が読み手に伝達されれば充分なのではなかろうか。
指標化は確かに比較し得る数値を表示しはするが、その意味するところを伝えずしてレビューの目的を果たすと言えるだろうか。或いは、逆に指標に解説を加えたとき、それでも尚客観であると言えるだろうか。


初めてiPodが世に出た時、世間の評価は概ね「高くて大きいプレイヤー」だった。こんなもの、誰が買うのか。恥ずかしながら、私自身そう思ったものだ。
この機種を単に数値だけで伝えるとすれば、この評価を覆すことはできない。当時主流であったポータブルプレイヤーと言えばMDだが、それに比べ筐体は大きく、バッテリの保ちは悪く、そして倍以上の価格。しかもMacでしか使えない。欠点ばかりに見える。
しかしその真価は、iTunesとの連動によって初めて見出される。それにはまずiTunesに曲を取り込んでおかねばならず、つまりは日常的にMacで音楽を聴くというスタイルが定着していなければならない。
iPodの価値とは性能ではなく、ライフスタイルそのものだ。今日では多くの人がそのことを理解している。
未だに、iPodは競合他社製品と比較してスペックで優れたものを持ってはいない。Shuffle以降は数の力で随分とコストパフォーマンスを改善しては来たが、Appleが商品価値を安さに見出さない為、製造原価はともかく販売価格は決して安いものではない。その他の性能についても、それだけ見れば十人並だ。それでも、iPodは紛れもなく市場を独占的に支配する製品である。


MacBook Airが果たしてそこまでの製品となれるのかどうかは、現時点では判断付かない。もしかしたら、それはまったく新しいライフスタイルを齎す超機種なのかも知れないし、或いは意気込みばかり空転する駄作に終わるのかも知れない。確実に言えるのはただ一つ、「スタイルは抜群」それだけだ。
けれど既に我々はいくつかの成功例を知ってしまっている。故に、そこに何らかの「Appleならではの提案」を見出さずにはおれない。
そして、ライフスタイルを伝えるレビューに客観性は不要、いやむしろ邪魔だ。敢えて徹底した主観から伝えられる言葉こそが必要なレビュー、そんなレビューを必要とする機種……それがMacBook Air、なのかも知れない。