共通思想のない連携

政治の世界を垣間見るに、一番心落ち着かぬのは政党というシステムである。
ぜんたい、他人と完全に考え方の一致しよう筈もないのに何故かひとつの政策を支持する集団として結束する。いや、これが数人の集団であれば偶々意気投合できる相手が居たことと解釈もできようが、なにぶんそれが数十人、数百人の集団ともなると、その中で全員に共通認識のあろう筈もない。実際内部で派閥を作って分裂している姿が観察できる。
政策だってふたつみっつと打ち出す中に容認しかねるものもあろう。どうせ派閥を組むなら、半永久的な集団としてではなく政策ごとの流動的組織として集合するが合理的だ。
どうやら実際は政党に所属しない者は冷遇される仕組みらしく、否が応でも大樹の蔭に寄らねばならぬようだ。根本的にシステム設計に欠陥があると言える。


ところで、何故かトンデモさんはトンデモさん同士寄り合う傾向にあるようだ。しかも理論面での共通性の有無に関らず。
例えば9.11テロ陰謀説の議論では、実に様々な陰謀論者が自説を開陳し否定的に検証を加えた懐疑論者と論争したわけだが、この時どういうわけか、主張の異なる他の陰謀論者に対する反論は殆ど見られなかった。単に自説の正しさを主張することが目的ならばそれに似わぬ説のすべてが論敵となる筈なのだが、不思議と彼ら同士はむしろエールを飛ばすほど仲良くしていたりする。
要するにこれは理論ではなく感情論なのだろう。彼らが互いを食い合わぬのは仮想的としての「懐疑論者集団」を共有する仲間だからだ。懐疑論側にしてみれば、同じ面子が口々に同じ説を批判するのは単に論理的思考の結果であって共闘などではないのだが。