著作権の独占性が資本主義を阻害する

著作権は本来、著作者本人に属する永続的な権利である。その目的は主に著作者としての名誉を守ることにあると言える。
が、著作権は発生時点から今日まで、営利活動と密接に関係して成立してきた。そのため事実上知的財産権の延長上にあると言ってよい保護を受けている。


知的財産権、例えば特許権意匠権のようなものは、基本的に企業間の健全な競争力を保持するために作られたものである。ある企業が努力の末に作り出した独創的なアイディアを一定期間保護し、何の努力もない他社が容易にそれを利用することを禁じる特許権、類似したデザインで誤認を誘発し便乗する行為を禁じる意匠権など、企業の努力を保護し健全な競争を促進する手段として概ね有効に機能している。
対して著作権にまつわる知的財産権、つまり著作隣接権は、企業の努力により生じた権利ではない。努力は著作者によるもので、隣接権は単にそれを利用するだけのものだ。にも関らず、著作隣接権は独占的な機能として認められている。つまりこの法律は、明らかに健全な競争を阻害する方向で機能していると言えよう。


ところで一般に著作者は法律に明るくない。対して企業は往々にして法律の専門家を雇っており、基礎知識に極端な開きがある。
そして法律に基く契約には強制力がある。であるからし出版社やレコードレーベル各社は著作者に隣接権の譲渡を迫り、よく判らぬままに契約してしまったが為に自身の著作を自身が自由にできない状態に陥ってしまう。これ自体、大変不健全なことだ。


本来、著作隣接権なんてものは1回限り/短期の認可制、版を重ねる度に契約更新してもらうぐらいで丁度良い。そして、より有利な条件を付けた企業が権利を獲得する自由競争制であるべきだ。
そうすれば、レーベルを移籍して過去の曲が再販できなくなるようなこともなくなるし、必要に応じて著作者自ら無償配布することだって可能になる。
現状では再販制度に護られて「余るぐらい出版して返品分は処分」「重版予定はないが出版権を手放す気もない塩漬け状態」なんてことが日常的に発生しているわけだが、これらが時限制になればむしろ「沢山刷って短期売り切り」「余らない程度に調整しながら契約更新して売り続け」のような形に変化するだろう。
そうしてしまうと、今までよりマスマーケットを通じて世に出るチャンスは減じるのかも知れない。けれどその代わりに、作品は作者が自由に使えるようになる。他の契約先を探すもよし、自分で流通させるもよし。
もはや一握りのマスに頼る時代ではないのだ。細分化を推し進めたインターネット自体に相応しく、小規模に、広範囲に提供してゆけば良い。