カスタマイズ可能性

自転車を見てこうも胸踊る理由のひとつは多分、そのカスタマイズ可能性にあるのだと思う。
ミニ四駆ベイブレードを例に挙げるまでもなく、男子諸君はカスタマイズが好きだ。女の子も着せ替えや模様替えの形でカスタマイズを嗜むようだが、女性のそれが主として外見の変化を楽しむのに対し、男性の場合はカスタマイズによる性能変化を楽しむ点に違いがある。


自転車は仕組みを把握できる機械として最も複雑なものであると言われる。ブラックボックスが存在せず、部品ひとつひとつを(やろうと思えば)ユーザが任意に変更可能であるというのは、カスタマイズ可能性としては非常に大きなアドヴァンテージだ。流石にパーツの自作となると少々敷居が高いが、自動車のエンジンのように町工場レヴェルでは組み立てられない(その歴史を考えれば不可能とは言わぬにせよ、満足の行く性能を出すことは非常に難しい)ようなものでもない。
まあ実際のところ、可能であるということとそこまでやるということはイコールではなく、余程のめり込んだ人以外はデフォルトのセッティングで概ね満足してしまう(というか、それに満足の行かぬ製品なら購入しない)のではないかと思うが、それでも「やろうと思えばいつでも可能」という事実は人を引き付けて止まない。