ニセ科学に引っ掛かる人にはどうやら2種類いて、ひとつは言われたことをそのまま信じ込んでしまう人、もうひとつは疑うべきところを間違ってしまった人のようだ。どちらも適正に懐疑を抱けていないという点では一致しているのだが、後者は自身を懐疑主義者と見做していることが多く、却って厄介だったりもする。
懐疑論とは(現代的な意味では)通説などをひとまず疑ってみる姿勢を持つことで、安易に尤もらしさに頼ることなく自ら検証し納得しようというものだ。
「安価なハンバーガーの肉に蚯蚓/鼠などを用いている」という都市伝説を例に取ると、「一般に食用化されていない生物を独自に養殖する方が却ってコストが高くつく」「食用に使えない生物の肉で営業許可が下りる筈もない、また表示と実際の内容に差異があってはならない」というあたりに思い至れば簡単に否定できる話であるが、誤った懐疑論では「一般に高級とされる牛肉100%で作っているのに、こんなに安くできるはずがない」といった風に、間違ったところに懐疑の目を向けてしまい、常識を否定することで誤情報の方を信じてしまう。
この例では、誤った懐疑の方は2つの間違いを犯している。ひとつは「一般に高級とされる」などの予断に基く判断。もうひとつは、一方の否定がもう一方の肯定であるという思い込みである。
予断に基く判断がなされなかった場合、まずは「牛肉は高いか」という部分を検証することになる筈だ。実際の飼育コストを算出できるデータを掴むのは容易でないにせよ、「牛丼屋でも安価に牛肉メニューを提供している」「スーパーマーケットなどでの国外産牛肉は意外に安い」などの傍証から、イメージほど牛肉が高価なものでないことが判明する。
あるいは牛肉が高価であるという思い込みから逃れられないとしても、鼠や蚯蚓を用いているかどうかを別途検証すれば、得られる結論は「そんなものは使っていない」(或いは最大限譲歩しても「使っているかどうか判らない」)となるだろう。
無論、懐疑論とて何でもかんでも懐疑し続けているわけではない。確たる情報に基き「確からしい」と納得できていることまで一々懐疑していては検証に時間が掛かり過ぎてしまうし、なにも全体を検証する必要はないのだ。論拠のうち肝要な部分さえ検証できれば、その他の部分に不正確さを含んでいたとしても大した問題ではない。
ただしそれは、「確たる事実」と「一般に信じられていること」の区別が付いてはじめて有効な論法でもあるし、また議論の枢要を的確に把握できなければ検証すべき部分と無視して良い部分を見分けることもできない。
この辺りは結局のところ教養と読解力の問題に還元されてしまうのだが、だからと言って「勉強しろ」というのも詮無い話である。差し当たって、効率は悪いが確実な懐疑の方法を考えてみようと思う。
まず、検証すべき元情報の論旨を書き出す。先程の例では少々単純に過ぎるので、ここでは(以前この日記上で検証した)有楽町線軍事利用説を例に取る。
この都市伝説の論旨は以下のようなものだ。
- 有楽町線は有事の際に軍事利用するための路線として作られた
ここでは理解し易いように箇条書きで紹介したが、実のところ、元の文章からこの箇条書きを作成できるかどうかが最初のポイントになると思う。
ここまで完了したなら、後は条項をひとつひとつ検証してゆけば良い。
1は論旨である、これが真実かどうかを見極めるのが目的と言える。
1の論拠が1-1及び1-2とその付随情報である。まずは1-1/1-2が事実かどうかを確認しよう。この場合であれば有楽町線について検索するだけでほとんどの情報は確認できるし、地図上で路線を辿っても良い。結果として、1-1/1-2が事実であることは確認できた。
次に、1-1-1/1-2-1を検証する。実はこれらは事実1-1/1-2より推測された内容であるのだが、内容的にこれこそが1を証明する論拠となっていることに注目されたい。逆に言えば、これら推論が正しくなければ、この説は棄却とまでは言わぬまでも確からしいとは判断できないことになる。
ここではまず戰車について調べた。スペックに掲載された車幅と有楽町線のトンネル設計情報から、この内部が戰車を通行させるには狭過ぎることが判明する。従って推論1-1-1は否定される。
次に朝霞駐屯地について調べた。これはWikipedia情報で一発というほど簡単ではないが、軍事系情報を辿ってゆくことでこの基地に駐屯しているのが主として後方支援のための部隊であり、有事の際に緊急動員されるようなものではないことが判る。従って1-2-1についても否定される。
無論、双方が否定されたからと言って有楽町線が軍事利用されないとは限らないので情報を完全否定するには至らないし、そもそも戰車のスペックやトンネルのスペック、あるいは朝霞駐屯地についての情報が誤りである可能性は残される。
しかしトンネル幅は実際に駅へ行けば目測できるし、戰車についても公開演習などで実車が公開されており、どちらも情報に大きな誤りがないこと、また誤差の範囲で否定的情報を引っくり返せないことが誰の目にも明らかである。
朝霞についてもある程度の情報が公開されているし、必要であれば直接問い合わせることも可能である*1。
このように、検証可能な情報であればそれらを繋ぎ合わせることで正しい認識を得ることができる。
ニセ懐疑論はしばしば、検証不可能な情報について想像を巡らせる。想像すること自体は悪いことではないが、適正な懐疑主義であれば想像と事実は明確に区別し、根拠が不足していれば「判らない」として扱うべきだ。未検証のまま切り捨てるのも、未検証のまま想像を肯定するのも、正しい懐疑とは言えない。
自分の主張がどこまで事実に基づくものか、振り返って検証すること。それこそが懐疑主義のあるべき姿である。
*1:「軍事機密なので正しいことを教えてくれないのではないか」というのは杞憂である。軍は機密につき情報を公開しないことはあっても、正確でない情報を流布することはない