罵倒というディスコミュニケーション

議論とは互いの意見を調整することであり、最終的に合意が得られないとしても何らかの意思疎通が図られると期待されるものである。けれどもしばしば、主張を強くするあまり頭に血が上りすぎ、冷静な議論から論争、というか折伏に変化する。
ここに至ってはもはや相手を説得しようという意図はなくなり、代わって相手を屈服させようという方向に変化する。説得と屈服は、どちらも自分の意見に転向させる点で似ているが、説得が同意を得る行為であるのに対し屈服は強制的に従わせるという点で決定的に異なる。下世話な比喩を用いるならば、和姦と強姦の違いとでも言おうか。


折伏の際にはもはや理論的な言葉は必要ない。目的は相手の意思を挫くことであるから、むしろ口穢く罵った方が効果的である。この段階では既に相手の話を聞くこともなく、精々がところ新たな攻撃材料に採用する程度の対応となる。逆に、真摯に相手の言葉を聞くことは逆に説得される危険を孕むため、避けるべき行為となる。


逆に言えば、罵倒が開始された時点でその相手はもはやコミュニケーションの意思なしと見做し、早々に引き上げるのが望ましい。