市民ジャーナリズムのあるべき姿

何にせよ、やってしまったものは仕方ない。オーマイニュースが今後「市民ジャーナリズムとしてどのように進化すべきか」ということを考えてみたい。


「市民ジャーナリズムが既存ジャーナリズムに勝てない」というのはひろゆきも指摘するところだ。単純に既存のニュースメディアにとって代わろうという方向では、その質も信頼性も到底プロには敵わない。
一方で、數を頼みの草の根的情報源としての機能では2chをはじめとする「匿名の有象無象」に敵わない。これらは信頼性の放棄と引き換えに膨大な數を集めることができ、その量を以て質を形成することができる。「統計的な信頼性」とでもいったところか。
この構造は、ある意味でYahoo!Googleの関係に似ている。


インターネットの初期段階から、有用な情報をどう収集するかというのはひとつの課題であった-----分量を考えれば自動化が望ましいが、機械任せの方法では質に限界がある。様々な自動化処理が試行された中、競争に勝利したYahoo!の方針は非常に単純なものだった:即ち「機械が信用できないなら人力で」。
Yahoo!方式は処理にかなりのマンパワーを割くため処理が遅い欠点があるが、処理の的確さはそれを補って余りあるものだったと言える。しかしその優位性は、自動でありながら手動に匹敵する質を確保するGoogleのアルゴリスムによって完膚なきまでに粉砕されることになる。質が同じならば、自動処理の利点は大きい-----スピードと規模、それに運用コストの点で人力は到底敵わない。


現在のところ、既存ジャーナリズムを上回る質を持った自動処理ジャーナリズムは存在していない。だが、萌芽はある:例えばソーシャルブックマークによるニュース抽出だ。
例えば、あなたが興味を魅かれたページをブックマークする。それ自体はニュースではないかも知れないし、なんの裏付けもない只のジャンク情報かも知れない。
ブックマークがあなたのしたただ一件に留まれば、そのジャンクな情報は埋もれて消えるだけだ。しかし数人がそれに興味を持てば、それは「複数の興味を引いた」こと自体を価値として持つようになる。単純で判り易い「人気」という指標。それは既に、恣意の入る余地を持たぬ客観的評価である。もしジャーナリズムの存在意義が「人の興味を満たす」ことにあるのだとすれば、ソーシャルブックマークはその目的を半分達成している。
ただ、残念ながらソーシャルブックマークは情報の裏を取らないので、もう一つの存在価値である「情報の信頼性」を創出することが難しい。検証を行なうのは今のところ人力だ。例えば、ソーシャルブックマークで上位にランクインするニュースをひたすら検証する情報源があれば、それはそれで有効な「ジャーナリズム」だろう。
個人的興味をベースに記事を書くのはなにもオーマイニュースである必要もない。個人のブログがあれば充分だ。この際、いっそオーマイニュースを「裏付けのない情報の検証専門ジャーナリズム」としてしまうのはどうだろうか。
それは既に「オーマイニュース」ではないが。