ミクロで勝ってマクロで負ける

議論を換わしていると、いつしか元の論点を見失って些細な点の議論にすり換わってしまうことがある。激論の末にその点で「勝った」は良いが、ふと冷静になって元の議論に戻ってみると総体としては論理が破綻していたり。
いや、本人が破綻を認識して終了するようなら良いのだが、ときにはあの手この手で議論をすり替えてなんとか「判定勝ち」の印象を得ようと足掻くことで総体が掴み難くなってしまったり。こうなると却って議論に有害である。


典型的な例としてkikulogの論争を見てみよう。既に開始から1ヶ月半、まだ終わっていない(いや、終わっていないと思っているのは一人だけだが)。
スレッド途中で時々要点まとめが発生するが、どこがまとめになっているかは通して読まないとよく判らない。それゆえのことなのかどうか、問題の論者は質問をほとんどスルーして、反論できる部分だけ反論してみせて全体を論破した気になってしまっている。大変不毛だ。


議論のまとめを行なうにはWikipediaのような「編集エリア+議論スレッド」の形の方が適切だろうと思う。表に纏まった論点を記し、ノート部分で議論を行なう。しかし、議論についてはブログコメントのような時系列準表示もWikiのノートに見られるようなスレッドツリーも不完全である。
特定の話題は纏めて閲覧できた方が良い。しかし常に以前の議論を受けて新たな議論が交わされるので、時系列も重要ではある。
何れにせよ複数の話題に言及したような場合を正確に追うことはできない-----いやまあ、スレッドツリー式なら話題を分ければ良いのだが、それでも複数を一括して扱わざるを得ないこともあろう。
できればはてなWordlinkのように、内包するキーワードで連鎖式に繋がるようなシステム(かつそれが▼視覚化できる)だとなお良いのだが。