世界史教育

富山県の高岡南高校から発覚した単位不履修問題。情報、音楽など受験に影響しない部分が削られるのはまあ理解できるが、面白いことに世界史がスポイルされる例が多いようだ。
大学受験の実態を知らないので世界史が軽んじられる理由はよく判らないが、「受験科目に含まれていない」ということはない*1と思うので、むしろ学習コストの問題なのだろうか。


私は理系だったので高校の歴史教育についてはあまり多くを知らないし、10年以上を経てどのように変化しているかも判らないが、少なくとも中学までの歴史教育というのは、ほぼ年表の暗記に近い代物であった。「いつ/どこで/なにが」をひたすら列記したような代物で、およそ学習とは言い難い。
ある程度は止むを得ない部分もあるのだろう。全体の流れを把握するには、まずおおよその「位置関係」を掴んでおいて、その上で関係性を説明すべきという判断か。しかし歴史は長く、覚えるべき要素は多い。とりわけ世界史の場合は地域も広いから一苦労だ。結果、小中学校での歴史教育というのはほとんど記憶のみに費やされる。


歴史というのは個々の独立した事象ではなく、関連性によって理解されるべきだ。そのことに気付いたのは、学業から完全に離れ趣味で民俗学/考古学分野に手を出してからだった。
どんな出来事にも、その原因となった別の出来事と、そのことによって引き起こされる別の出来事がある。原因なくして結果はない。それらは切り離されずにひとつの流れとして理解されなければならない。日本史/世界史なんて分け方はナンセンスだ。世界史の中で日本に関わる部分をもって日本史と呼ぶのであって、日本だけの独立した事象と捉える限り理解の及ばない部分が出る。
もう一つ気付いたのは、時系列に沿って学ぶより、近代から古代へ逆に辿った方が理解し易いのではないかということだった。
例えば現在の日本は太平洋戦争に負けアメリカの統治下に置かれたことで今の形を得た。では何故太平洋戦争が起きたのか?アメリカの思惑も絡むにせよ、直接的には日本が周辺諸国に侵略したからだ。何故侵略に及んだか?それは開国以来、欧米の列強による帝国主義の繁栄を目の当たりにしたからだ。では何故列強は帝国主義を実践したか?古代ローマ帝国に端を発した帝国制が長きに渡り栄華を誇ったからだ……
これを古代から順に辿ると、まず古代ローマ帝国の複雑な歴史を学び、その過程でヨーロッパの歴史に触れしばし脱線、その後東ローマの滅亡と帝国主義の横行から唐突に日本の開国へ飛び、太平洋戦争が出現することになる。出発点が遠く把握し難い上に、ゴール地点と関係ないルートを辿り、終盤も巧く繋がらない。
まずは主幹だけで良いのだ。無論そこには沢山の見落としがあるが、同時に沢山の足掛かりもある。キィワードを拾いながら他の方向へ足を向けるも良し、別のゴールから辿ることで個々のルートの繋がりを見出すも良し。深く掘り下げるうちに足りない部分も見えてきて、それを補おうとすれば自然と別の情報へ繋がる。
一度に太極を見せても戸惑うだけだ。けれど年表のようなものが無駄というわけでもない。全体を見渡したいときには、視覚的な理解もそれはそれで有効な手段だ。
どうして、それらを一つにまとめないのだろうか。


天文学分野では、最近になって「いかにスケール感を掴んで貰うか」といったアプローチが行なわれている。
例えばhttp://4d2u.nao.ac.jp/top.htmlNikon | ユニバースケールYTMND - HTTP 404 MAN NOT FOUND (DOG)のようにFlashなどを効果的に使って太極的俯瞰からピンポイントでの掘り下げまでを効果的に纏めたインターフェイスの試み。細かい事実より、まずはイメージを持つことが重要ということだ。
こうした方向性を、歴史にも取り入れられないだろうか。集約すべき情報量は多いが、それだけに意義も大きい。国家レヴェルのプロジェクトとして提案してもいいぐらいだ。

*1:日本史とのコンパチブルであるような可能性はあるにせよ