小学生でもできること

私は所謂Careless Missが非常に多い性質で、ごく簡単な書類程度の仕事ですら50%を大きく上回る率でミスが発見され、その度に叱責を受けるのだが、その際頻繁に用いられる「小学生でもできる」といった類いの言い回しがずっと気になっていた。
小学生だってできること(が私にはできていない)というのは事実かも知れないが、それを指摘する意図はどこにあるのか。考えられるのは、

  1. 小学生にだってできるはずのことだからお前にだってできて当然である(期待)
    • わざわざ小学生を引き合いに出してそれを説明する必然性に欠ける
  2. 小学生でもできることができないお前は低能である(侮辱)
    • わざわざ辱めてみせることで発奮する相手でなければ逆効果
  3. 小学生に負けるようでは恥ずかしいので頑張るように(奮起)
    • 奮起にしては目標を(一般的判断で)低すぎるところに設定している。まあミスそのものが低レヴェルなので致し方なかろうが、効果は薄そうだ

実際にこれを発する相手は深く考えておらず1〜3が混在していると考えるのが妥当だろうが、何れにせよ効果の程は大いに疑問だ。


叱責の目的は相手を貶めて凹ますことではなく、問題点を指摘し改善を促すことにあると思うが、その点でこの表現は極めて微小な効果しかもたらさないか、逆効果にしかならないのではないかと思う。


それはそうと、私のミス率は多分統計に照らしてちょっと異常な数値なのだろう。これは関心のない部分について驚くほど投げ遣りな私の気質に拠るところが大きいと思うが、30年ばかり定着してきたことなので多分この先も覆ることはあるまい。今更小学生相手のような教育を施すことを考えるより、「こいつはそういう奴だ」と認識した方が効率が良いと思うのだが、それを指摘しても理解されないのは「本人が言うな」ってことなのか。

「単なる事実の指摘」という可能性もなくはないが、それこそ意味がないな。