サイバーパンク時代の法と犯罪

攻殻機動隊 S.A.C 2nd GIGを纏めて視聴。総体としては良く纏まっていると思うが、同時に幾つかの違和感も覚えた。社会の変化が部分的に遅れている印象があるのだ。
義体と電脳により現代世界の常識が通用しなくなった世界で、法と犯罪はどのように変化するだろうか。

個人の特定

個人認証は現代でも難しい部分のある技術である。パスワードなどの方法では漏洩時の問題を避けられないため、最近では指紋・声紋・網膜・掌静脈など固有の生体パターンを認証に使用する例が増えている。
しかし、完全義体が実用化され、剰え一般層にも浸透している時代に於いては、これら認証方式は著しく有効性を落としている。認証方式としては生体パターンを持たないサイボーグへの対応も求められるだろうし、一方で模倣が容易になってくるため、少なくとも単体で有効にはなり得ない。


その為に、サイボーグでも置き替えられない唯一の生体パーツである脳の情報、例えば脳波などの利用が考えられる。簡単なスキャナで読み取り可能か、そもそも個人認証に利用できる性質のものか、といった疑問/課題はあるが。
或いは、サイボーグにはパーツに非接触IDタグなどの形で識別コードを割り振り、これを個人情報と結び付ける方法もあるだろう。この場合、普遍的な個人識別には生身用の生体認証とサイボーグ用のID認証を併用すれば良いので技術的にはそう難しくない。
法整備としては、義体の登録制-----車検のように定期的な点検と所有登録を義務化し、また製造段階でユニークIDを割り当てるような措置となるだろう。当然ながら、正規の登録を受けずIDが削り取られた闇義体なども流通しそうであるが。


また、義体化が進めば他人の顔や体格をそっくりコピーすることすら困難ではなくなる。従って写真付きIDカードなどは大した意味を持たず、確実にユニークな生体認証/ID認証が普及すると考えられる。場合によっては生体へのID埋め込み義務化すらあり得る。
しかし過度なユニークIDへの依存は逆に、IDの模倣による成りすましを容易にするのが頭の痛いところだ。外部から読み取れないIDは機能しないから、何らかのスキミング/フィッシングによりIDを抜き取られる可能性は高い。
逆に義体化に伴う外見の変更を禁じる措置を取り、視覚認証を併用するのはある程度有効だが、義体のファッション化が確実にそれを形骸化させると予想できるし、いずれにせよ闇での整形は必ず行われる。
下手に規制を強化して認知不能な闇に潜られるより、確実な登録だけを義務化して何かあったときに参照できるようにした方が結果として犯罪の抑止には有効と思われる。

電脳のセキュリティ

肉体同様に扱える義体の実現には脳が直接機械を操作できる技術の実現が不可欠である。医療用の代替四肢程度であれば長期の訓練を要求するような仕様も可だが、より普及させるためにはどうしてもMan=Machine Interfaceが必要となる。
共通規格によりパーツ換装が容易であること、装着したパーツの扱いが(慣れの必要はあろうが)長期的なリハビリ=脳側の最適化なしに可能であること。その為には、脳にインターフェイスを装備しOSを常駐させ、その上で各パーツのドライヴァがパーツをオペレートするような仕組みが不可欠だろう。
当然、このOSはHack対象となり得るし、それは体の一部または全部のコントロールを乗っ取られることを意味する。脳そのもののHackについては、通信を脳→OSの一方通行な流れに限定することで防止できるかも知れない。しかし感覚器官からのフィードバックは必須だから、どうしても信号の一部は脳へ戻さざるを得ず、その部分のHackは(技術的に困難だとしても)100%回避することはできない。
自分の見聞きするものが真に自分の感覚器官を通してきたものか、それとも外部から割り込んだ偽の感覚か、区別する術はない。逆に感覚を盗聴/盗視されていたとしても、多分気付かないだろう。


さて、仮にMan=Machine Interfaceが脳の働きを完全に解明して実装されるなら、運動野、視覚野、言語野、のみならず記憶や部分的な思考の類に至るまで原理的には機械化可能である。
例えば複雑な演繹を外部処理すれば、人間の持つ柔軟な思考とコンピュータの持つ瞬間的な計算性能を併せ持った高度な情報処理が可能となる。しかし思考にまで機械が関与するというのは、ともすればアイデンティティの崩壊に繋がりかねない。
記憶ともなれば更にその可能性は高まる。本質的な個性とは(極論すれば)シナプスの結合パターンであり、そこから生じる思考であるが、信号伝搬の過程を脳自身が認識することはないから、実質的に自己と他人を区別するために用いられているものは記憶であると言い切って良い。
その記憶を外部化し他人と共有するようになれば、どこまでが自分のオリジナルな記憶でどこからが他人との共有なのか、永く悩むことになろう。
しかし、過去には対面での議論や書籍によってそうして来たように、現代に於いては主にWebを介してそうあるように、知識の共有は避け難い欲求でもある。その手っ取り早い手段として、記憶の共有はいずれ発生するブレイクスルーであるように思われる。
技術的落とし所としては、脳内記憶と外部記憶に明確な認識の差を与え、意識の上で切り分け可能にする方法が考えられるが、ひとたび技術が完成すれば、それを掻い潜って偽の記憶を送り込む方法は必ず発見されるだろう。
偽の感覚と偽の記憶。物証もなく、証言も信用できない犯罪の発生が予期される。改竄を発見する為には記憶の解析が必要であり、それは重大なプライヴァシの侵害に繋がる。

非人間的性能

義体が医療目的に技術開発されたものであっても、その延長線上には必ず軍事転用の可能性がある。通常の肉体では発揮し得ないパワーを与え得る全身義体*1はそれだけで兵力として魅力的だし、機械故の装甲化、感覚強化、なにより体の一部を失っても死なない強さは軍用にうってつけだ。
倫理的には健全な肉体を持った兵士を軍事力のためだけに義体化することへの抵抗は当然あるだろう。しかし義務ではなく自由意志ならば(そして当然その裏には義体化への金銭/地位的報酬と断った時のペナルティがちらつくのだろうが)そのことを表立って批判することは難しい。


軍事用利用されれば、それは必ず流出する。義体化兵の脱走、専用義体横流し……その受け入れ先は各地の犯罪的組織だろう。犯罪は激化し、警察レヴェルでも強化義体の必要性に迫られる。場合によっては警備会社にも限定的に認められるかも知れない。準軍事義体の民生化。
また、徐々に義体が社会に浸透すれば、当然ながらファッションとしての義体化が行われる。奇抜なデザインや機能もさることながら、車やPCなどに顕著なスペックマニア向けの高性能義体が出現すれば、それは軍事用に匹敵する性能を発揮しかねない。
こうした高性能義体には何らかの法規制が導入されると思われるが、現代社会においてさえ車両へのリミッタ導入とその違法な解除が行われている以上、同様のことが義体に対しても発生するのは確実である。
ある種の凶器と言っても良い義体の出現は、必然的に民間人の護身需要を喚起、日本でも米国レヴェルの銃規制緩和が行われる可能性もある。

現金の廃止

現代でもキャッシュカードやそれに類する決済手段は随分普及しているが、米国などでは更に徹底しており日常のごく少額な決済でも多くクレジットカードが利用されているようだ。
今や駅の改札や有料道路でも一々料金を払う必要すらなく通過するだけで自動的に処理されるまでに発達したデータ決済はその利便性を以て確実に広まりを見せており、100年もすれば完全に現金に置き変わったとしても不思議ない。どころか企業間では既に実質的なデータのみでのやり取りが日常化している。
であるならば、既に現金はその役割を終え、完全データ決済に移行しても問題ないのではなかろうか。
消費者側の利点はあまりないが、政府側にしてみれば流通経路が完全に明確化するという利点がある。即ち、裏金などの不正な資金を確実に監視でき、犯罪の抑止に大いに役立つと考えられる。また、公共輸送機関をはじめ日常的なサーヴィスの利用に伴い個人認証が行われることで、犯罪者の監視なども容易になる。
問題は、しばしば為政者自身がそうした不透明な金を必要とするという事実であろうか。これを実現することは自身の首を締めることにも繋がりかねない。
無論、金その他現物での裏資金やり取りは可能だが、それはまた犯罪組織に於いても同様である。
更には、諸外国もその流れに乗ってこない限り、マネーロンダリングの可能性は排除し切れないという問題もある。
一国だけで完結する話ではないだけに実現には長時間かかるだろう。犯罪抑止力の強化は事実上、自身への監視強化と同義である。国民感情がそれを許すかという点も判断が難しい。

仮想社会

既にWeb上で生活に必要なものは殆ど入手可能であり、家から一歩も出ずに生活することは不可能ではないが、ネットワーク化が加速し、とりわけ脳との直結が可能になれば、生命維持以外の活動をほぼ全てWeb上で完結させる生活様式が現れることは確実である。
24時間をWeb上で活動する人々により、仮想社会は現状のコミュニティ規模を越えて国家レヴェルまで発展し得る。物理的な制約のないこの国家は国民の意思と経済力だけを具え、その方面のみで現実国家と競争する存在である。軍事力はないが、物理的な拠点を持たないので問題はない。実質的な軍事力は電脳的な攻撃力に依存する。
仮想国家がWebの先鋭的思想から生まれるものであるならば、それは恐らく構造的に明確な中心を持たない*2共産主義(というか無産主義)的なものになると予想される。「国家」としての他国への影響力は純軍事的な、即ち電脳戦力による潜在的脅威と株・為替・先物その他取引による経済力、それに思想のみである。


もう少し攻撃的な社会も考えられる。例えば積極的Crackにより他国/企業から資金を略取、また企業秘密や国家機密を盗むことで実行力と抑止力を得るような。規模にもよるが、経済面では窃盗もしくは通貨偽造による管理経済の破綻、保安面では重大な機密の漏洩(これは国家または企業のアイデンティティに関わる重大な問題である)。構成員は何れかの国に帰属することになるので物理的な場所さえ特定できれば逮捕は可能だが、中心のない構造であればそのことが根本的な解決にはなり得ない。
より技術が進めば、そうした存在そのものが物理的な体を持たない完全電脳知性体として出現する(攻殻に於ける人形遣いのような)可能性も否定できない。
対抗策は一つ、全地球規模ネットワークを放棄し完全な管理体制を布いたローカルネットワークに篭ることである。とは言え全国的にそれを行うのは現実的でない。可能なのは精々、重大な機密を扱う部分をスタンドアローンにすることぐらいだろう。
しかしそれすら大した効果を上げないかも知れない。閉鎖系と言えどもそれに関わる全職員を完全閉鎖するわけにはいかないからだ。Man=Machine Interfaceによる記憶領域への接続が行われる以上、機密を知る者の脳から情報が漏れる可能性が存在する。対抗策は、機密要員を全て非電脳者で構成することだけだが、任意に採用可能な職員はともかく、それを知る立場になり得る政治家や官僚にまでそれを求めることは困難である。むしろそうした指導的立場こそ、迅速な情報の交換を必要とするからだ。


組織的な電脳犯罪に対抗するためには、当然の措置として軍事/警察組織の電脳戦力強化が行われねばならない。また、電脳的攻撃が脳への書き込みを通じて人格レヴェルに及び得る以上、攻性防御(攻撃者への積極的反撃)が正当防衛として認められるのは時間の問題である。警察の逮捕権限として容疑者電脳の管理権限剥奪、また軍の自衛権として人格破壊まで含めた攻撃が許可される。

人格と人権

端的に言って、全身義体化したサイボーグは非人間的な存在、身も蓋もなく表現すれば「化け物」である。現代の障碍者に対するような差別/排斥が生じることは避けられない。
時と共に、恐らくは若者を中心に先鋭的ファッションとして、また上流では電脳化から始まって延命や整形の手段として広まり、それと前後して義体差別を禁じる条例などが制定されるだろう。それでも、(未だに電子レンジすら忌避する老人がいるように)新しいものを受け入れられない層は必ず存在する。とりわけ人間の一形態としてのそれを認めることに生理的嫌悪を覚える可能性は高く、本格的な普及には100年以上かかるかも知れない。
また、バイオニューラルコンピューティングの研究や量子コンピューティングの発達により、電子上に知性の萌芽が確認されるかも知れない。いずれそれは自意識に目覚め、侃々諤々の議論*3の末に限定的な人権を認めるに至る。
電脳に人権を認めるならば、比較的知性の発達した一部の生物に対しても同様の権利を認める必要が出てくる。真猿類は言うに及ばず、犬や猫、鯨類もまた限定的ながら幼児程度にはコミュニケーション可能であることは良く知られており、成人としての完全な人権ではないとしても未成年に準じた権利は保証されることになるだろう。その線引きを巡ってまた議論が起こることは言うまでもない。
こうした一連の動きに対しては必ずや「人類至上主義」とでも言うべき思想が登場し、弾圧を加えることになる。KKKのような団体が母体となり、今や人類の肌の色で差別することがなくなった代わりに、ホモ・サピエンス以外の準知性体の人権を認めず、抗議運動としてのテロリズムを実行するような集団である。

*1:生身をベースとした部分義体化ではどうしても過剰出力による肉体へのダメージを避けられないため、超人化のためには全身義体化が必須となる

*2:求心力的な中心人物はいるだろうが

*3:クローン人間製造問題と同じく倫理上の観念についての長期に渡る議論に発展するに違いない。場合によっては研究自体が一時的に禁じられる可能性もあるが、技術的に可能なことならば遅かれ早かれ実現する