増やす産業、減らす産業

ウェブ産業の「富の再配分メカニズム」ってなんだろう? - Tech Mom from Silicon Valleyなんかを読んでいて思ったのだが、どうも産業には「増やす」産業と「減らす」産業があるらしい。


技術というのは、常に効率を高める為にある。車輪が発明されたのは運搬効率を追求したからだし、飛行機解の発明自体はあこがれのようなものから来たのだろうが、発達したのは移動効率追求の結果だ。核兵器だって殺戮/破壊という行為の効率を追求した結果発生したもので、目的はどうあれ技術的には正当だ。
こうした効率改善は、他社に先駆けて行うことで市場シェアの拡大にも繋がり得るが、一方では当然ながらそれに関わっていた人手の削減にも繋がっている。今まで10人で行っていたことが5人でできれば、社員を半分に減らして最大のコストである人件費を圧縮できることになる。そういう風に見れば、技術の進歩はいつでも雇用人員の減少に向いていた筈だ。


これまでそうしたことがあまり問題になってこなかった*1のは、それが結局は雇用拡大に結びついて来た所為だろう。
会社というのは常に拡大を目指し続ける性質を有する*2から、浮いた分を削減してコンパクトに現状を維持しようとすることはない。むしろ浮いた分を他へ回して更に拡大しようとするようにできている。つまり人員は減少しないか、しても緩やかにしか減らない。
また、既存の機械技術に於いては労働効率の更なる効率改善を追求する程に機械自体はより複雑化する傾向が見られた。それはつまり、それの製造に関わる周辺産業が増加するということでもある。こうして、技術の発展に伴い雇用は拡大を続けたのだ。


60年代頃の未来予想図では「ロボットが人間の代わりに労働を行い、人間は仕事から解放される」などといった予想が散見される。これは機械技術方向から見れば正しくない。機械の助けで人間一人当たりの労働力が10倍になるなら1/10の労働で同じ賃金が貰える-----のではなく、単に仕事が10倍に増え、しかも賃金は上がらない、のが正解だ。技術は常に効率を高め続けたが、それは人間の労力を減らす方向に向けられることはなく、むしろ仕事を増やす為に使われて来た。
ところが、コンピューターの登場によりソフトウェアという無形の産業が生まれたとき、状況は一変する。
コンピューターの仕事は計算などの事務的処理の効率向上であり、この点では既存産業と特に変わりない。ハードウェアレヴェルでは複雑化し部品点数が増加して、周辺産業を増やす点も変わりない。しかしソフトウェアは、どれほど複雑化しても部品を必要としないので、周辺産業を生むことなく成立してしまう。ここに至って人類は始めて、仕事を減らす技術を手に入れたのだ。
Googleは検索効率を飛躍的に向上させ、Yahoo!の手動分類作業員から職を奪った。しかしそのGoogleが雇っている人間は僅か6000人足らず、そしてGoogle自身は何の下請け産業も必要としていない。僅かにPCハードウェア会社と通信事業者、電気事業者あたりを潤わせたかも知れないが、産業に与えた影響の大きさから見れば微々たるものだ。一体どれほどの人が、必要な情報を素早く見つけられるようになり、その分自分の仕事割り当てを増やしただろうか。


ソフトウェア産業に始まる労働力そのものの軽減は、労働から解放される輝かしい未来への第一歩になる筈だった。しかし社会には、その一歩を受け入れる為の準備ができていなかったようだ。
「仕事がなくちゃ生活できない」「俺たちに仕事をよこせ!」働く成人が多数である限り、仕事から解放された人たちは唯の失業者だ。国は彼らの養い方に頭を抱え、経済学者は労働を基本としない新たな経済モデルを構築できずにいる。
仕事を捨てよ、街へ出よう。今こそ、労働は趣味になるべきだ。
何の見返りも求めず、気が向いた時に好きなだけ仕事する。労働とは無関係に衣食住が満たされ、必要なものが過不足無く供給される。
そのとき始めて、仕事は真に創造的になり、その価値は栄誉を持って報いられ、利害に縛られることのない理想的な社会が発生するだろう。
労働を前提としたが故に共産主義は破綻したが、無労働を前にして資本主義もまた滅び去るのだ。

*1:全然、ではない。例えば工場にロボットが導入されることで工員が削減され、ストに発展したような例もある

*2:癌細胞のようだ