感情論の否定について

私は理想論として「感情ではなく理性に基づいて判断が下されるべきだ」と考えているので、基本的に感情面については一切考慮していない。無論、感情に基づく反応というものがあると言うことを否定はしないし、感情的であることが「悪」だとは言わない。が、私は自らの立場を理論面に置くし、またその立場から時に感情論を「理論的でない」という理由で批判することがある。


感情論は悪ではないが、理論的に見て「望ましくない」。何故なら、感情は正確に「共有」されないからだ。特に、善悪のような判断を行なう場合、感情に基づき判断するのは非常に危険なことだ。
ある事柄について「悪い」と断じる場合、その理由が感情に根ざしたものであるならば、その感情を共有できない他人は同じく自身の感情を理由にその言説を否定することができる。感情は根本的なレベルで共有できない*1ので、「自分はこう感じる」以上の言とはなり得ず、よって全ての感情論は等価であって絶対に決着しない(決着するとすれば、それは「多数決」という感情ではないものの一種に基づいて行なわれる時だろう)。
繰り返すが、感情論に基づく表明自体が「悪い」わけではない。しかし、他人に共有可能な根拠がない以上、それに基づいて行動を決定することを正当化できない。善悪の判断とそれに基づく行動は、特に判断を誤った場合の影響が大きい分野であるから、感情に基づく判断はこれを推奨できないことになる。


要約すると、「感情論は構わないが「それが感情論であること」を自覚しろ」ということ。いや感情から来る言説であっても理論的な補強がきちんとできていれば何も問題はないのだけれど、どうしても感情論から出発するとその辺破綻し易い。

*1:漠然と共感することは可能であるが、全ての感情は発生原因が個人に帰属するものなので完全な共有はあり得ない。このことの理論面に言及すると長くなりそうなので、必要ならば別項にて