集合知性的自我という未来

サイヴァーパンク作品で一つの典型的な未来像として描かれてきたのが、脳とコンピューターを直結する技術である。当時の技術的想像力的限界から「ヴァーチャルリアリティー世界に潜る」的描写が先行したが、現代的に再解釈するならば直結に於いて最も重要視されべき指向性は「脳の増設」であろう。
生身では演算能力的にも蓄積データ的にも優れているとは言い難い脳を、コンピューターと直結する形で機能追加する。ここに至って脳の役割は記憶の蓄積所でも高速演算装置でもなく、機械的動作では困難な情報フィルタリング機能として動作することになる。
そこまで至るには脳とコンピューター言語の変換インターフェイスなど乗り越えねばならぬ壁が無数にあるが、段階的には既に実現している部分もある。そう、記憶の外部化である。
思い出せない情報、知らない情報が出てきたとき、我々はそれを調べる。古くは書物を中心とした蓄積データを用いていたその行為が、現代ではWeb上のアーカイヴと検索システムが構築する巨大なランダムアクセス・データベースに置き換わった。
現状ではまだ「知らないことを認識」し、「情報を得」て「記憶に取り込む」ことでしか処理できていないが、直結インターフェイス完成の暁には「Web上のデータ≒自分の記憶」のシームレスな接続が可能になるだろう。考えたことはインターフェイスを通してWebに保存され、誰かが保存したデータが同時に自分の記憶となる。そこには最早オリジナルの記憶というものは存在しない。自我はただ、そこからの取捨選択という一点に於いて機能するのみだ。


そうなった時にどんな未来が訪れるのかは想像の域を越えるが、「コンピューターと接続して記憶の共有を目指す宗教団体」とかいうネタでグレッグ・イーガンあたりがSF書きそうだと思った。