プライヴェートの集合体としてのソーシャル

Vente en viager Angoulême: vendre sa maison en viager à Angoulême (16 000) |というやや扇情的なタイトルのエントリで、はてなブックマークの「おかしいと感じられる点」について言及されているのだが、これを読んで幾つか違和感を覚えたので書いておく。


上記エントリの趣旨を要約すると、

  1. 一部のユーザーに流されて爆発する傾向があるような
  2. ランキングで1get目的が増えてノイズに
  3. ソーシャルなのに自分勝手なタグ多すぎ

といたっところだろうか。でもこれ、全て印象論ですよね(と印象だけで書いてみる)。


このうち、2のランキング問題については正直解らない。あのランキングがどの程度意識されているのか、客観的に割り出す方法がないから、どうしても印象でしかものを言えないのだが、個人的には多分殆ど影響していないのではないかと思っている。むしろ「ブックマークしたユーザーが少ないうちはスルーしろ(元記事失念)」なんていう声もあった位で。
なんでもかんでも1getすれば注目/人気エントリでも1getになる可能性が高いだろうが、反面大量に「自分以外ブックマークしていない」エントリを生むし、そもそも一人でカヴァーできる範囲には限界があるから、現実には闇雲な1getで満足感を得るのは大変難しいと思われる。それよりは隠れエントリの掘り起こしに長けたアルファクリッパーをマークして2getを狙う方がまだしも現実的だろう。


1に関しては以前調査した限りでは他人のブックマークにあまり左右されないという結果が出ている。ただし信憑性については保証しかねるが。
仮に調査結果が真であるとするならば、ブクマ数が急激に伸びたのはアルファクリッパーがブックマークしたからではなく皆がブックマークするに足りると判断したから、ということになる。


さて、3であるが、これが一番肝心なところだと思う。つまりソーシャルを意識せねばならないのかといったところ。
結論から先に言えば、私はあくまで公開されてはいるもののプライヴェートの意識で構わないと思っている。ブックマークはあくまで個人個人が自分自身のためにするものであって、他人に見せるためにするものではない。だからこそ、逆に集合知としては(母集団自体の偏り以外に)変なバイアスを持たない結果が出て来るのだ。
どうやら集合知には2種類あって、予測市場のように一人一人が個人の嗜好を殺して全体を予測することで成立するものと、逆にAmazonのおすすめのように一人一人が自分の都合だけで動くことで全体としての精度を高めるものに分かれるようだ。そして経験的に言えば、前者は使い続けるのが困難であり、後者は持続し易い。その理由は言わずもがなだろう。
試しに万人に読ませるためのブックマークを意識して使ってみると良い。多分、「今日見た面白いもの」ではなく「皆が知っておくべき定番」ばかり集まってしまい、結果としては酷く詰まらぬものになってしまうのではないだろうか。
それはそうと「似たようなタグが多い」という問題は以前から指摘されており、これに対してはユーザーごとのタググループ設定などの改正案が提案されているものの、当面は後回しになると予想される。


del.ic.iousを利用したことがないので比較することはできないが、個人的にははてなブックマークは必要充分な機能をほぼ満足しているように感じている。


予想された指摘であるところの「ソーシャルを意識しないものはクローズドな環境で」という意見について。
それを敢えてそのまま曝け出してリミックスするのが、多分Web2.0(と呼ばれる、来るべき如何わしき未来像)の真骨頂なのでその反論は適切でない、と思う。
ミクロに見れば曝け出されたプライヴェートなそれはエレガントさに欠けるかも知れないが、マクロで見れば全く別の側面を持つデータとして導き出されるだろう。
ていうかソーシャル意識し続けるのは結構しんどいので、そうなったら皆使わなくなると思われ。
(参考:Web 2.0が嫌われる理由 - My Life Between Silicon Valley and Japan