対人恐怖とファッション恐怖

最近、「脱・オタクファッション」を謳った本が出ているらしい。で、http://kammyblog.seesaa.net/article/10674255.html「電車男スタイリング・バイブル」を読んだ - 刺身☆ブーメランのはてなダイアリーなどのレビューを読んで、なんとなく得心した。
オタクと非オタの間には、暗くて深い河がある。


オタクは基本的に対人関係に対して否定的である。芸能もスポーツも政治も経済も興味がない(人によっては特定分野に興味を持つだろうが)ので世間話のしようもないし、そもそも親しくない人と話すことに極度の緊張感と恐怖感を覚える。
だから基本的に世間から一歩離れたところに生きる。そうすると対人関係を構築しなくて良いから、自然とそれに必要な部分がスポイルされる。その一つがファッションである。
オタクとて美的感覚が全く異なる生き物ではない。モデルや店頭マネキンのコーディネートされた服装を見て格好良いと思わぬではないだろう。しかしオタクにしてみれば、それは異世界のできごとであって自分には与り知らぬことである。


ところでオタクは恐らく大半が、人格形成期を蔑まれて過ごした経験があることだろう。人間関係を構築できないということは、学校社会では即いじめの対象である。
このような環境下で人格を形成して行くと、当然のように「いじめ側が好む存在=忌避すべき存在」という刷り込みが生じる。いじめる側は大概広く人間関係を築くのが得意で、その一環としてファッションにリソースを割くタイプだから、オタクは逆にファッションを避けるようになる。同様に、「流行」の範疇にあるもの全てが敵に回る。
オタクの目をファッションに向けようと思うならば、まずはこのトラウマを解消しなくてはなるまい。


まあ、社会人として普通に会社勤めなどしてしまうと服装には無頓着でも割合なんとかなってしまうもので、スーツさえ着ていればそれなりに格好がつく。だからといって髪型や服のしわなどに気を遣えるわけではないが。
結婚して4年経つが、正直なところ未だに服装については慣れることがない。自分で選んでも全て駄目出しを受けるので基本的には妻に任せっきりだが、「夏に長袖を着てはいけない」とか「この靴は秋冬用だから」とか指示を受ける度に、それは合理的でないな、と考えてしまう。服なんて体表を覆えれば良いのだし、靴なんて足を痛めなければ良いのだ。着るものが改善されても、そうそうこの意識は改善されないと見える。


まあアレだ、一番ガイドを必要とする層は決して読まない罠。

「オタクは」などと主語に一般名詞を用いているが、実のところ個人的な事例を挙げたに過ぎない。本当に他のオタクがそのようにしてファッションを忌避しているのかどうか、確かめようも無いので。