読みたい本が判らない

1330年頃書かれた「徒然草」にもすこしのことにも、先達はあらまほしきことなりとあるように、その道に疎い時にガイドを求めるのは今に始まったことではないが、そのガイドの選択基準に問題があるような気がする。
凡そどんなものでも、万人に最適な選択など存在しない。その中で自分に適したものを掴むには、自分の感覚に近いガイドを見つける必要がある。言い換えれば、ガイドを見つけるためのガイドは存在しないのだ。
それでも道具機械類のように優劣が数値的に表現できるものはまだガイドを頼りにし易いが、出版メディアの類い(書籍、音楽、映像)などは純粋に好みの問題であるから、例えば売れ行きや人気投票などといったパラメーターを眺めてもあまり意味がない。


注目作とは自然発生するものではなく、広域情報メディア-----テレビや情報誌など-----に金を投じて作り出すものである。これらメディアは広範囲に即時影響力を発揮するが長続きしない傾向があり、これは流行の操作に極めて都合が良い。なぜなら、一度に多量のセールスが期待できるとともにセールス内容を短期間で入れ替え可能だからである。出版メディアは基本的に自転車操業的な収益モデルを有しているので、ロングセラーによる長期的な収益よりもベストセラーで短期に資金を確保できるほうが望ましい。
作品についての的確な評価は口コミをベースとして広がる。これは伝搬速度が遅いので、流行に影響しない程度の時間差を持って広がり、駄作を塗り潰す。また持続性が長く、良作を長期間止める効果がある。つまり、古典的に名作とされる作品にはそう呼ばれるだけの理由があるということで、本当に読みたい本/聴きたい音楽/観たい映画が判らないなら、古典から入るのが良い*1


既にある程度自分なりの基準を確立している人なら、何を選ぶにも迷いは少ない。仮令見知らぬ作家のものだとて、表紙を、或いはタイトルを見ただけで、買うに値するものかどうかはすぐ判る。よしんば間違った作品に手を出してしまったとしても、その結果は蓄積され、その後の選択にフィードバックされるから、つまらない作品は自然と無視される。
そうでない人たちだけが、取り敢えず売れているらしい本を読み、流行っているらしい音楽を聴き、話題になったらしい映画を観る。つまり、注目作のユーザーとそうでないユーザーは完全に乖離していると言える。
そしてベストセラーの仕掛人たちは、その流行層にターゲットを絞って作品をプロデュースする。ということは、この範囲から良作は殆ど輩出されないということになる。


真にガイドを求めるならば、まずは流行時の情報源から距離を置くことが肝心である。

*1:但し、本当に旧いとジャンルとしての変化が起こるので注意。ジャンルとしての「古典」以外では、最大でも50年以内に止めるのが良いかも知れない。