サーヴィスの拡大と変化

どんなサーヴィスでもそうだが、βテストの頃は「濃い」ユーザーが集まりがちである。新しいもの好きで技術に明るく、サーヴィスの方向付けに関与する積極性を持つ、生来のヘヴィーユーザー。
しかしひとたび公開されれば、ヘヴィーユーザー密度は確実に薄まる。口コミが口コミを呼び、ユーザー数は指数関数的に増加し、広まれば広まるほどライトユーザー率が増える。その結果……

質の低下

ヘヴィーユーザーは古くから技術的コミュニティと関わりがあり、その作法を知っている。自然とβ時点でのサーヴィス内にはその作法に基づいた不文律が共通認識として形成されることになる。全体数は小さく、アクティヴユーザーを中心に結束した、ある種のムラ社会である。
そこへライトユーザーが流入する。彼らはムラ社会の作法を知らず、また積極的に知ろうともしない。そしてライトユーザーの数は瞬く間にヘヴィーユーザーの数を凌駕し、多数は少数に、常識は非常識になる。
また、全体としての活動の質(或いは密度)も低下する。ヘヴィーユーザーはコミュニティ全体を認知し、また集団に帰属している自覚がある。常に他人を意識するが故に自らを律し研鑽を重ねる。しかしライトユーザーは自分の周囲のごく狭い範囲しか認知しない。そこがある種公共の場であるという自覚もなく行動するから、場合によっては周囲と軋轢を生じ、またそうならないまでも全体のモラル或いはクオリティを低下させる。
ヘヴィーユーザーの幾許かは啓蒙活動に努めるが、その影響力は(人数比の問題で)小さい。また幾許かは沈黙し、幾許かは秩序の崩壊を厭いサーヴィスを脱退する。

見通しの悪化

ライトユーザーは周囲と積極的な関わりを持つことを避け、ごく少人数で緩やかなコミュニティを形成する傾向にある。ムラ社会は崩壊し、核家族的な小コミュニティが乱立、全体の見通しが困難になる。
サーヴィスの種類によっては、これは大した問題とはなり得ない。例えばブログやSNSでは、ユーザーの認知範囲はそもそも小さく、互いが己を中心とした集合を持つにすぎないから、分断はそれほど表面化しない。
しかし関心空間のように、全体を見通すことを前提とした構造を持っている場合、その影響は極めて重大である。低質な活動の間に上質な活動が埋もれることで、活動の意義そのものが薄れてしまう。

サポートの飽和

ライトユーザーは困ったことがあると取り敢えず助けを求める傾向がある。周囲に詳しいものがいればその人を頼るだろうが、そうでなければ運営側にサポートを要求する。当然ながらこれはユーザー数の増加に比例して件数が増加し、余程大きな運営母体を持っているのでない限りは早晩に飽和する。
似たような問題であればドキュメントの整備公開によって多少緩和を図ることができるが、ライトユーザーは学習を嫌うので効果は薄い。
ヘヴィーユーザーは場合によって優秀なサポート要員となり得るが、責任のない立場でもあるのでトラブルに繋がることもある*1

纏まらない

後日加筆予定。

*1:ヘヴィーユーザーが高圧的な態度に出たり、ライトユーザーの非礼に腹を立てる、或いは公式なサポートでないことから軽視されるなど