謝罪の要求

Web上の論争に於いて*1、しばしば「事実と異なる点の訂正と謝罪を要求する」といった表現を目にする。
事実と異なるのであればその点について訂正は必要だろうし、誤解を広めた可能性があるから訂正したということを告知する必要はあるだろうが、どうして「謝罪」という話になるのか。
謝罪により得るものは何も無い。ましてや自発的な謝罪ならばまだしも、要求して行わせたものなどに何の意味があろうか。精々が「頭を下げさせてやった」とひとり悦に入って溜飲を下げる程度のものだ。
とは言え、謝罪を要求したくなる気分が判らぬではない。論争の中にはしばしば根拠の無い罵倒や暴言も目にするからだ。


リアルタイムで発生する会話と違って、文章は発表までに推敲を重ねることができるから、表現上の問題等は事前にチェックし易いはずである。にも関わらず暴言がなくならないのは、発言者が論敵を怒らせることを意図して意図的に発言しているからではないだろうか。だとすれば謝罪要求など全く無意味である。
では何のために謝罪を要求するのか。私には、これもまた婉曲的な嫌がらせであるように思える。勿論すべてがそうではないだろうが(相手の暴言に我慢ができなくなっての短絡的な反応である可能性は否めない)いちいち攻撃的に突っかかって行くことで相手を苛立たせる目的も少なからずあるのではないか。とすればどっちもどっちである。


実際のところ、暴言を吐く輩に対する対処は徹底的な回避しかあるまい。自分のコメントに現れれば逐一消去する。相手の日記からのトラックバックならば暴言部分を無視して反論し続ける。懸命なる読者であれば自ずとどちらが正しい態度であるか認識するはずで、いちいち些末な発言を撤回させる必要すら無い。
最も懸命な判断は「暴言を吐くような輩に近寄らない」ではあるのだが、近寄らなくとも勝手にやって来る場合もある。そんなときは黙って嵐をやり過ごすのみだ。

*1:Webに限ったものではないと思うが、活動範囲の関係で他の例をあまり知らない