非文学としてのSF/ミステリー


どうも私に当たった執筆者はそろって人間界にしか興味がないらしい。確かに自然界への関心や自然科学のたしなみが皆無でもSFは成立しえますが、私に言わせれば、そんなものは一般文芸です。人間界の機微なら永六輔とか田辺聖子とか瀬戸内寂聴とかにまかせておけばいいのであって、なぜSFでしか書けないものを書かないのかと小一時間問いつめたい。
に対しid:adramine氏はそんなの無茶苦茶や。逆に誰かのように人間(or 知性体)の機微がない方が問題だと思う。と仰るが、私は寧ろ野尻氏に賛同してしまう。人間の機微などというものは(書けるに越したことはないが)SFやミステリー*1にとって必要条件ではないと思うから。
文学は人間の機微だかなんだかを書くもののようで(このあたり定義されたことがあるのかどうかも判らないが)多分原則として人を描かずに成立し得ないのではないかと思うが、SF/ミステリーは実のところ論理ゲームのようなものであり、極端な話、知り得る情報を箇条書きすれば成立してしまう。人物を設定しているのは視点を定め、徐々に情報を明かすことによって段階を追った謎の解明とどんでん返しのエンターテインメント性を演出する都合上の問題に過ぎない。


しかしエンターテインメントとしての都合から本という形態を取ったがために、これらは文学としばしば混同され、文学的見地から批判を受ける。即ちそれが「人間の機微が描けていない」である。
もう一度言おう。そんなものはSF/ミステリーにとって必要条件ではない。文学と似た形態を取ってはいても、文学と同じ見地から判断することはできないものなのである。それはクラシックとヒップホップを混同して評価するようなものだ。
SFにはSFの、ミステリーにはミステリーの文法があり条件がある。文学的描写は素晴らしいがUFOが出て来る程度で理論面での興奮がない作品は、SFとしては評価されない。

*1:ここでは物理的なトリックを用いた、所謂「本格もの」を想定しており、社会派ミステリーは含まれない