意識の共有と距離

OdigoというInstant Messengerがある。Friendリストに登録した人物とメッセージを交わす分にはどこにでもあるIMと変わらないが、このソフトの真価はWebサイトを通じた意識の共有にある。即ち、同じサイトを見ている人を探す機能が備わっているのだ。
また、BandLinkという音楽プレーヤーでは、対応CDを再生すると同じCDを聞いている人とチャットできる。


同じものに興味を持っているユーザー同士を結び付けるというコンセプトは面白いと思う。だが、この機能を実際に使ってみたことはない。


その昔、画面上に並んだ電球をクリックして付けたり消したりするだけのサイトがあったと聞く。どういう意図で作られたものかは不明だが、やがて訪れたユーザー同士が電球の点滅によって「交信」を始めた。
これは同じものに興味を持ったユーザー同士の交信という点では上記のソフトウェアに近い。
実のところ、ここではユーザー同士が本当に意思の疎通をしているわけではない。ただ、互いの行動に影響を与え合っているだけだ。しかし、はっきりと言葉を交し合うことはないから安心できる。目が届かぬほど離れてはいないが、手が出せるほど近づき過ぎない間合い。


思うに、(同じものに興味があるとは言え)見ず知らずの人物と言葉を交わす行為は重過ぎるのだ。それをするには、暫く様子を見て互いの人となりを知り、距離を縮める時間が必要なのだろう。
幾つかのコミュニティサイト、例えば関心空間はてなダイアリーでは、関心を共有する人同士を結び付け、会話させる機能を備えている。これらはしかし、相手の発した言葉を体系的に眺めることで人格を把握し、距離感を縮める役割も果たす。そこまで計算された設計なのか副次的な効果なのかは判らないが、成功するコミュニティサイトというのはこういう部分の配慮に違いが出るのではなかろうか。