JASRACとかNapsterとかCCCDとか

最近著作権関連のニュース(主に訴訟問題)を読むことが多い。で、いつも思うのが「現行の著作権という概念に限界が来ているのではないか」ということ。


著作者が、著作を他人に無断使用・改変されることなく、またそこから利益を得られるようになるのは創作行為を助長し文化を育成する上で重要だとは思う。
が、一方で著作は広く一般に浸透するのが理想であるし、また(剽窃でも便乗でもない創作としての)パロディという文化の存在を考えると、必ずしもこれら著作権(及びそれに付属する諸々の権利)を声高に主張することが文化的にプラスとは言えないのではないか。
或いは、そも(創作の大半を占める)情報と物品が不可分であった時代の法律を、情報が情報として独立して存在する現代にそのまま適用するのは無理があるのではないか。


このようなことは私が改めて言うまでもなく、既に幾多の論議が為されたとは思うが、にも関わらず是正される兆しは見えない。どころか、ますます権益を強化する方向に動いているように見える。


法改正に伴いJASRAC以外が音楽著作権を管理することが可能になったが、JASRACは規約改正により他業者への乗換えを阻んだ。
本やCDの売上のうち、著作者への支払いは数%。
著作権は誰のためか。利益は誰が享受するのか。


NapstarにはじまるP2Pファイル交換システムは技術者の関心を集め、次々に新型が立ち上がっているが、何れもレコード教会その他の著作権管理団体に提訴され、次々に廃業を余儀なくされている。
これらシステムが著作権を侵害する違法コピーのために使われているのは事実だろう。だがそのことで検挙されるべきは違法なファイルを交換している輩であって、それを可能とした道具の作成者ではない。悪意は道具に宿るのではなく、使用者に宿るのだ。
百歩の十の十乗ほど譲って、道具(の作り手)に責任があるのだとしたら、すべての武器メーカーとその作成を許した国は提訴されなくてはならない。なんとなれば、それらは破壊と殺戮のために作られた道具だから。
まあ、そんな言い分は論理のすり替えでもあるが。


CCCDは著作者の権利保護と引き換えに消費者の所有権を侵害した。得るのは著作者、失うのは消費者。彼らに損はなく、我々に得はない。


古本屋や中古CD、中古ゲームショップでの流通は、確かに著作権者に直接の利益をもたらしては居ないだろう。しかし所有した財産の処分権は所有者にある。中古市場に出回られて困るというなら、著作権者サイドがもっと高く買い取るしかない。
長い目で見れば、著作が広く流通することによる知名度の方が重要だと思うけれど。