1/35 四式甲脚砲乙型「呑竜」

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オランダで発明された連動式多脚歩行機構を取り入れた「ヤンセン式」駆動装置を採用した大型甲脚砲。
楊式は他の脚歩行メカニズムと異なり、歩行時の動揺が少ないため射撃プラットフォームに適しているが、その反面で機構上どうしても高さおよび幅が大きくなりすぎるという欠点も有する。
これを逆に利点と見做し、車体左右へ増設したデッキに歩兵を随伴させることにより高所からの砲撃・制圧射撃を行なう移動トーチカとして構想されたのが本機である。
上部には対戦車戦闘に適した75mm野砲、機体前方には70mm八連装噴進砲2門を備え、甲板上からは歩兵分隊重機関銃や擲弾筒で側方の敵を牽制する。機動拠点として歩兵中隊ごとに1機が配備され、堅固な防衛能力を発揮した。
本機は現地改修により、下方の死角を補うための機銃砲塔を機体下部に増設(型遅れとなった八九式戦車から移植したもの)。正面主砲を取り外し機銃に入れ替えたのは、この下部砲塔が歩兵の牽制目的であり対戦車戦の必要がないことと、前後に長い砲塔が脚部に干渉し180度旋回できない欠点を補うためだろう。

全長
5520mm
全幅
8050mm
全高
5355mm
固定武装
九〇式三十八口径七糎半野砲1門、四式七糎八連装噴進砲2門、九七式車載重機関銃2門
乗員
10名

──という設定の架空戦闘車両を作ってみた。元となったのはタミヤ1/35 日本陸軍 一式砲戦車と、テオ・ヤンセンのストランド・ビーストである。

呑竜という名は、「太陽の牙ダグラム」に登場する4脚戦車、アビテートF44B「テキーラガンナー」に由来する。テキーラ→竜舌蘭の酒→竜を呑む、という連想──つまり深い意味はない。一式砲戦車ベースなのに「四式乙型」なのも44Bという型番に合わせてのことで、1944年式=皇紀2604年式、Bなので乙型という。

「甲脚砲」とは、PS2の歴史改変SF戦闘ゲーム「RIng of Red」に登場する架空の歩行戦闘車両のこと。
第二次世界大戦中に開発された歩行戦車によって世界史が塗り変えられ、日本は本土決戦の末に南北分割当地されているという設定である。ゲームの主役となる甲脚砲/AFWは歩兵3班を随伴させ、うち1班が背面デッキに同乗し装填などを補佐することで性能が左右される、ユニークなシステムであった。
www.youtube.com
Ring of Red ベスト

Ring of Red ベスト

  • 発売日: 2001/09/27
  • メディア: Video Game

制作は「ヤンセンのストランドビーストに戦車くっつけたら面白いのでは」程度の安易な一発ネタから始まった。「大人の科学」にキット付きの号があるのは知っていたが、調べてみると同型のキットが安価に販売されているようだ(大人の科学オリジナル品をコピーしたのか、それとも元々中国あたりで作られていた安価なキットを大人の科学が取り入れたのか、そのあたりは判らない)。
脚部がシンプルな骨組とクランクのみで構成されており前近代的な雰囲気があるので、素体となる戦車の方も現代的なものではなく、開発黎明期の迷走ぶりが感じられる垢抜けない車種が相応わしいだろう。
戦車のプラモといえばまずドイツ軍だが、洗練されて格好良すぎるので避ける。米軍も合理的で無駄が少ない。迷走しやすいのはなんといっても英軍か日本軍、ということで適当に安めのキットを探す。

この時点では2000円を下回る九七式チハかM3グラント(原型は米戦車だが)あたりを候補としていたのだが、ストランドビースト部分が高さ11cm、前後長14cm、幅(1組3脚あたり)7cmと1/35に合わせるには結構な大きさだったため「これ足が盛大に左右へ張り出すな……いっそ足の上に台を組んだらテキーラガンナーっぽくなるのでは?」ということで方針を固め、じゃあ台の上に載せる歩兵も必要だなとキットを探していたら、ちょうどチハ車体ベースの一式砲戦車に歩兵4体が付属しており、そういうことになった。

左右甲板は1.2mm厚のプラ板に鬼目のやすりでざくざく傷を付け、5mm間隔で溝を掘ったものをL字材のフレームに載せている。大きさは8cm、35倍スケールではおよそ四畳半程度である。ここに土嚢を組んでいるので、兵が乗れる面積はせいぜい二畳程度か。
手摺りに利用可能な材が手元になかったため、サイズ統一しやすいランナーを利用したのだが正直だいぶサイズオーバーで、太さ3mmだから35倍すると10cmぐらいになってしまう。これは可能ならば適当な太さの材で作り直したい。
土嚢を載せたのはオリジナルテキーラガンナーの仕様ではなく、こちらの素晴らしいテキーラガンナーに大いに影響を受けたものだが、機関銃分隊を乗せるならば薄い防盾よりも安心感がある。
土嚢も鬼目やすりで縦横に傷を付けることで布地の毛羽感を出し、そこに土色と白でドライブラシをかけ、隙間にシェーディングを施している。今回の塗装でこれが一番ちゃんと手をかけたかも知れない。

左右に据える機銃のうち、ひとつは一式砲戦車のパーツとして付属していた、チハの車載機銃用と思われる軽機銃を流用するとして、もうひとつは重機銃が欲しいところだ。しかし日本軍の用いる機銃はキット化事例が少ない。というかそもそも日本軍が少ない。
大戦期ミリタリーものでの人気は、独軍>>>英米>ソ連>>>日本軍>その他という感じで、歩兵や装備品も独軍ならば豊富だが日本軍はごく僅かしかなく、最も安価に入手しやすいタミヤ1/35系だと「歩兵」「将校」たった2種である。
ピットロードからは九二式重機関銃チームがキット化されているのだが、生産数の少ないメーカーだけに価格が高価めで、これだけでストランドビースト+砲戦車を優に上回ってしまう。

既にある歩兵とダブってしまうというのも避けたかったので、安価なタミヤアメリカ軍小火器セットに入っている機銃を元にそれっぽく改造してお茶を濁すことにした。

九二式重機関銃は7.7mm弾で、米軍だと軽機関銃相当となるのでサイズ的にも合うM1919A6を素体にシルエットを適当に合わせてゆく。銃架にはM8無反動砲のものを流用。ただ、特徴的な放熱板を備えたバレルジャケット部がないとイマイチそれっぽく見えない……手作業での再現は困難と見て、2.5mm径のスプリングをかぶせてみたら、そこそこ良い感じになった。
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さて問題は下面である。
構造上、左右足の間に大きな空間ができ、ここが死角になってしまう。本来のテキーラガンナーでは足の間がもっと狭いので死角があまり意識されないのだが、本機の場合は左右に大きく張り出しているだけにどうしても中央の隙間が目立つ。また、(本来の戦車がそういうものなのかどうかはよく解らないが)このキットだと下面が真っ平らで何の装飾もなく、なんとも物足りない。戦車ならばそこを晒すことはまずないから気にもなるまいが、本機では地上から大きく浮かせているため結構はっきり見えてしまうので、何か適当なディティールを作り込まないと間が持たない。
というわけでこのあたりに機銃砲塔か何かを据えて、死角問題の解消とディティールの追加を狙った……のだが、どうも丁度良い砲塔が手に入らない。なにしろ普段はプラモを作ることもないので適当なパーツの持ち合わせなどなく、さりとて砲塔のためだけにもう一台買うのも無駄が多い。秋葉のYS mintにはランナー単位でのバラ売りがあるので物色もしたが、いい観じのパーツを手に入れることはできなかった。
諦めて自作を試みる。
参考にすべく日本軍戦車の画像などを探していたら、ガルパンの公式が無料配布している1/35八九式中戦車のペーパークラフトを発見したので、それを型紙にプラ板で砲塔をスクラッチすることにした。切り取った上面装甲にL字プラ材を切って「のりしろ」を作り、側面装甲を接着する。ただ装甲は垂直ではなく下方が広がっているため、そのままではうまく接着できない。また、どうしても多少の隙間ができてしまうので、そういうところはパテで埋めて成形してゆく。
ペーパークラフトだと鋲などの細かいパーツはは印刷で対応するわけだが、模型だと一つひとつ植えてゆくしかない。
砲塔の前後にはチハ用の車載機銃部品と思しきパーツを埋め込む。

脚部機構は左右に連結パイプが突き出て、その先にキャップを被せるようになっている。ちょっと収まりが悪い気がしたので、キャップの先にプラ板組みの装甲板を追加。中央を帯状にボルト止め加工してみたが、リベットをランナーに並んだ状態で接着して切り離せば綺麗に並ぶんじゃないかと思ったらポロポロ取れてしまって結局手作業で補修する羽目に。

テキーラガンナーは車体下部にロケットランチャーを備えているので、それっぽいものを自作する。
一式砲の誘導輪に空いている穴をテーパーやすりで徐々に広げ、3mm径のプラパイプを差し込んでランチャーとする。外径3mmだと35倍スケールでは10.5cmぐらい、内径2mmなので7cmぐらい。調べてみると大戦末期に試製四式七糎噴進砲という対戦車ロケット砲が開発されているので、これを八連装にしたものということにしよう。

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ざっくり形ができたところで塗装に入る。
テキーラガンナーに寄せてアースカラー単色塗装にしようかとも思ったのだが、日本軍だと兵士もアースカラーなのでメリハリが少なくなる気がして3色迷彩に。しかし迷彩は格好良く塗るのが難しい。どうにもバランスが悪くなって、誤魔化すためにシェーディングとドライブラシで覆ったら、結局塗装全体のメリハリがなくなってしまった……
せめて多少なりとアクセントをと、各所にダークオレンジで錆を入れてみた。
全体として粗が多い、というかぜんぜんまともに塗れていないが、しんどくなってきたのでこれぐらいで打ち切る。

脚はサイズ確認のため無塗装で組み上げてしまったのだが、素のままのアイボリーカラーでは流石に全体の雰囲気から浮いてしまう。しかしパーツが多いのでバラして組み直すのはしんどいし、できれば可動状態を保ちたかったので、染色スプレーであるらしい「染めQ」を吹いてみた。しかし結局これも塗膜を作るには違いないらしく、動きが鈍くなるわムラができるわで正直ひどい仕上がりなのだが、まあこれもある種のウェザリングみたいなものと開き直ってそれ以上塗らずに済ませてしまった。余裕があれば改めて塗るかも知れないが。

できあがった頃には日が沈んでいたので自然光下で撮影できず、家の中で光源の良い箇所を探したら「洗面所の白い洗濯機の上」が最良ということになった。背景になんかちょっと写り込んでいるのはそういう理由である。

家事の自動化について

人は仕事のために生くるに非ず。仕事は可能な限り省力化したい……と人類は昔から考え、実現させてきた。
もちろん家事についても例外ではなく、あの手この手で省力化が図られてきた。日々繰り返される仕事であるからこそ、その自動化はQoLに直結する問題と言える。安く済ませて手間をかけるより、多少金がかかってでも効率を重視した方が、結局は人生が豊かになろうというものだ。

衣類に関する家事には、主に「調達」=不足分の把握と購入、「メンテナンス」=着用した衣類の洗浄と破損箇所の修復、「管理」=収納と季節に応じた入れ替え、などがある。
このうち、調達と管理は手作業でないと対応が難しい。
調達に関しては通販も可能だが、なにぶん「体に合わせる」必要があるためフリーサイズでもなければ試着なしには購入を決め難く、実店舗へ足を運ぶ必要性が高い。もっとも最近では自宅での試着後返品を受け付けるものも多く、通販のリスクも低くなったが。
管理については、ようやく衣類畳み機が開発されつつあるが、普及価格帯で登場するのはかなり先のことだろう。季節ごとの入れ替えは、省力化するとしたらたとえば衣類収納ボックスを季節ごとに分けて用意し、変わり目にボックスごと入れ替える……ぐらいだろうか。いずれにせよ自動化は困難なので手作業でやるしかない。

一方、日常的なルーチンワークとして要請されるのはメンテナンスだが、この分野については既に自動化技術の蓄積がある:つまり洗濯乾燥機だ。
洗濯機は17世紀には発明されている最古の家事自動化装置であり、電気の普及による自動化が進んだ20世紀には急速に発達、1937年には脱水までの行程が全自動化され、1953年には乾燥まで含めた自動化が実現している。

洗濯乾燥機

今や洗濯機を持たず手洗い洗浄している人はまずいないと思うが、洗浄だけでなく乾燥まで一括で行なえる洗濯乾燥機もかなり普及した。濡れて重たい洗濯物を運び、1枚1枚広げては物干しにかける作業が不要となるだけでなく、天候や時間に関わらず洗濯可能になるというのも大きい。
縦型タイプならば乾燥機能付きで5万ぐらいから、ただし乾燥能力は低く少量の衣類を長時間かけて乾かすことになるため効率が悪い。価格は倍以上になるが、大容量の洗濯乾燥を可能にするドラム式をおすすめする。
一部機種では「風アイロン」「ふんわりキープ」などシワ伸ばし機能を謳うものもあり、これと衣類側の「形状記憶」などを組み合わせると、アイロンがけの必要性も抑えることができ、さらなる省力化が実現できるだろう。
どの機種でも基本的性能に大きな差はないが、細かいところでは結構使い勝手に違いが出る。実際に使ってみて比較したいところだが、洗濯機ともなると容易ではない。
以下はあくまで発売時期の異なる2機種での比較を元にしており、メーカーごとの差異として捉えて良いかどうかは疑問も残るが、参考までに必要性の高い機能・性能について記す。

静粛性

運転音が大きい機種だと夜間に洗濯しにくい。特に集合住宅では階下などに気を使うことになる。カタログスペック上、運転時の騒音はほとんどの機種で40db前後とかなり抑えてはいるが、スペックに出にくいところで「脱水開始時の振動」は結構違ってくる印象がある。
脱水はドラムの高速回転による遠心力で行なわれるが、このとき回転速度の変化に伴い一時的に揺れが激しくなる場合がある。とりわけ洗濯物がドラムに均等分散していない時ほど大きく揺れるわけだが、横向きドラム式の場合は必然的に回転槽の下側に洗濯物が寄った状態から回転を始めるわけで、これをうまいこと分散させつつ回転速度を高めて振動を安定させるノウハウには各社に差がありそうだ。
8年前の日立機よりも、今年のパナ機の方が振動抑制では断然勝っていたが、これが8年間での技術蓄積によるものかメーカごとの差なのかはわからない。

フィルタのメンテナンス性

洗濯乾燥機には、流水の糸屑を漉し取る網状フィルタと乾燥時の綿埃を捕える乾燥フィルタが付いている。これは基本的に運転の度に(でないとしても2〜3回に一度は)掃除する必要があるのだが、掃除しやすさが機種によって結構違う。
日立機は網状の糸屑フィルタを持ち、目に詰まるダストをブラシなどで掻き落とす必要があった。パナ機はフィルタが櫛状のため絡まったダストを取り外しやすい。
また日立の乾燥フィルタは不織布のシートで囲われたボックス内側に張り付いた糸屑を掻き出さねばならなかったが、パナ機では目の細かい平滑な金属メッシュになっているためフェルトのように積もった綿埃がするりと剥がれ、除去の楽さが断然違う。

ピーク消費電力

これはどちらかというと我が家に特有の問題という気もするが、高電力家電が想定されていない時期の家屋であるため台所と洗面所がひとつの分電で賄われており、20アンペアを洗濯機とオーブンレンジ、炊飯器、食洗機などで分け合っていたため、「洗濯機の稼働中に調理家電を動かすとブレーカーが落ちる」という状態であった。そのため洗濯機の買い替えにあたっても乾燥時消費電力の抑制は優先度の高い条件であった。
ただ実際には調理家電が最大11〜14アンペア程度を、洗濯機が6〜8アンペア程度を消費する(その他に冷蔵庫なども常用される)ため、結局のところ同時利用は難しい。
台所と洗面所の配電が分かれている場合には、ここはそれほど気にしなくて良いだろう。

洗剤自動投入

これは逆に必要性の低い機能として紹介しておく。
予め洗剤ボックスを満たしておくと洗濯のたびに必要量だけを投入、残量が少なくなるとランプが点く。洗濯開始時に洗剤投入する手間が省けはするのだが、そもそも1分もかからない作業であるので、そこを省いてもあまり手間は変わらないし、「計って入れるのが面倒」な向きには錠剤型などで洗濯物と一緒に入れておくだけの計量不要な洗剤も存在する。あって困ることはないにせよ、この機能のためだけに高い機種を選ぶような必要はあるまい。

食事に関する家事は主に「調達」=食材や食品の購入、「調理」、「片付け」がある。
調達は、自動化しようと思えばできる:たとえば【Oisix公式】初めての方限定「おためしセット」はこちら生協の宅配パルシステムのような食材の定期購入サービスを利用すれば日々の献立に必要なものがレシピ付きで届くし、そこまではしないにしてもネットスーパーなどで注文すれば、少なくとも食材を持ち運ぶ労力は軽減可能だ。

調理については、多様性がありすぎて単純な自動化は難しいものの、逆に部分的な自動化は結構進んでいる。たとえば炊飯器は細かい火力調整を全自動で行なうし、米研ぎも無洗米によって不要にできる。オーブンレンジなどでもレシピ機能付きの半自動調理が可能だし、あるいはいっそ調理済み食品を購入しておけばレンジ再加熱など簡単な調理のみで済ませることも不可能ではない。

片付けに関して一番負担になるのは食器の洗浄だが、こちらも1893年には手動式ながら現代の電動食洗機に通じる原型が既に登場しており、自動化技術が充分に普及している。大容量のものなら調理に使用したフライパンなどの大物も含めて一度に洗浄可能だが、水栓直結のための工事が必要になる。そこまでしたくない場合は、(いちいち水タンクに汲む必要が生じるものの)工事不要の小型機も登場した。

住環境に関する家事でもっとも日常的に行なわれるのは、掃除と片付けだ。
この分野の自動化はもっとも遅れていて、20世紀初頭には電気式吸引型の掃除機が出現してはいるものの、つい近年まではずっと人が手作業で掃除するしかなく、人の手を離れたのはようやく21世紀に入ってからだ。片付けに至っては今でも手作業である。
平滑な床面を掃除することしかできない自動掃除ロボットは、それゆえ「床に障害となる物を置かないように生活する」習慣を発生させ、結果として片付けについても意識的に実行されることになる。

掃除ロボットは予め指定したスケジュールに従って自律的に家中を掃除してまわり、充電も自動で行なうが、いくつかの不慮の事態によって掃除が中断される場合もある:ひとつは段差などを認識できず引っ掛かって行動不能になる場合。ひとつは掃除中にゴミが一杯になる場合。そしてもうひとつは、ホームに正常に戻れず充電が行なえなくなる場合だ。
障害地形についてはしばらく見守りながら運用してみて、引っ掛かりやすい場所に乗り上げないようバリアを形成したりなど運用を最適化するしかないが、ゴミ量に関しては恐らく運用では解決できない問題である。在宅中であればゴミを捨てて再実行させてもいいが、それでは外出中に掃除を任せたりできなくなってしまう。ソファやベッドの下など狭い場所にも潜り込んで掃除させたいロボットは大きさも高さも抑える必要があり、どうしてもダストボックスの容量が犠牲になりがちである。ただし上位機種では充電ステーションにゴミ回収機能の付いたモデルもあり、ダストボックスが一杯になっても自動回収によって掃除を継続できる。
充電問題は、(ホームベースが障害物で塞がらない限りは)ロボット側で自動調節可能な問題のはずだが、実際にはなぜか失敗しがちである。接点の接触が悪い場合はメラミンスポンジなどで磨くことで解決できる場合もあるようだが。



我が家ではRoombaの導入以降、Dysonの出番がなくなった。日々の床掃除はRoombaが、スポットで処理したい時はハンディ掃除機で充分に賄える。

江の島キャンドルナイト

江の島に行くのは3回目。初回は新江の島水族館目当てで島へは渡らず、2度目は船で島の裏側から上がってきたが、今回は橋を渡って正面から登る。

橋の右側に見えてくる円筒形の建物は温泉施設。
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橋を渡ると、200年前のものだという青銅葺きの鳥居が見えてくる。その奥に見えているのは辺津宮へと至る、竜宮城をイメージしたという「瑞心門」。
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途中には食事や土産物の店に並んで旅館の門も。ここは岩本楼、登録有形文化財となった「ローマ風呂」で知られる老舗である。元は鎌倉時代に開かれた宿坊であったという。
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www.iwamotoro.co.jp

これが瑞心門。望遠で圧縮された写真だとすぐに見えるが、実際には上り坂を150mぐらい歩く。
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これをくぐって階段を登れば辺津宮に行き着くが、ずっと階段を登ってゆくのは結構しんどいので私は上り専用の有料エスカレーター「エスカー」を使う。
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辺津宮を抜け、ちょっと下った先に次のエスカーが。これを上れば中津宮に着く。
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ここには水琴窟があり、近付くとセンサーにより水が流れ、水盤から零れた水が地下に埋められた甕へと降って水音を響かせる。
水が流れているうちはその音でかき消されやすいので、水が止まってからしばらく耳を傾けると、水滴が水面を揺らす柔らかな音と、それが甕の側面に反響する硬い音とが混じった、なんとも言えない音色が聴こえてくる。

最後のエスカーを登るとその先は、左に展望デッキ、右にサムエル・コッキング庭苑に挟まれたちょっとした広場が。たこせんべいに行列ができていた。
奥津宮だけは、他の宮と離れて江の島を二つに分ける断崖を渡った先にある。
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この茶屋通り、実はまっすぐ富士山を望む向きに作られており、天候によってはなかなかの景色が望める。
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江の島は古くからの観光地だけに、食事処も土産物屋も「古い」店が多いのだが、奥津宮までの通り沿いは古さを生かした新しいカフェなど雰囲気の良い店も入り混じってくる。上まで登ってからなにか食べるなら、そういう店をおすすめしたい。
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このCafe Maduは白い壁に囲まれた、広いオープンテラスを備えるセルフスタイルのカフェ。
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そのテラスからは近くの樹上に鳶の姿も。このあたりではかなり近い位置から、たくさんの鳶を見ることができる。食べ物を攫われないよう注意。
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そういえば、広場のところで皆が上を見上げていると思ったら電線をリスが走っていた(素早く木を駆け登って消えたので撮れなかったが)。尾がかなり太いように見えたので、かつて飼育され台風で破損した小屋から逃げ出し住み着いたというタイワンリスだろうか。

一連の店舗群を抜けた先には奥津宮がある。
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さて、今回の目的は江の島観光それ自体ではなく、サムエル・コッキング庭苑で行なわれるライティングイベント「湘南キャンドル」である。
enoshima-seacandle.com
なお「仏壇用のろうそく」製造企業としてよく知られるカメヤマローソクの協賛であった。

16:30からの入場チケットを予約してあるので、時間に合わせて戻る。
ちょうど夕日の時間帯に差し掛かり、展望デッキから染まりゆく海が楽しめる。
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庭苑内の展望灯台「江の島シーキャンドル」もライトアップを始めたようだ。
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空はまだ明るいが、苑内には既にキャンドルが灯されている。本物の蝋燭を係員が1本づつ着火してゆくらしい。
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展望台下にはカフェがあり、その向かいにはキッチンカーも出ている。
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空が暗くなってきてからが本番である。
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ところで、苑内にある展望灯台「シーキャンドル」にも目を向けよう。
かつては剥き出しの螺旋階段で登る展望灯台があり、塔を運営する江の島電鉄の開業100周年に合わせて現在の形にリニューアルされた。更に元を辿れば戦前、二子玉川に設置されていた落下傘訓練塔の転用だったのだとか。
当時の姿は以下のサイトなどで知ることができる。
www.j-fab.co.jp

ともあれこの灯台、なかなかの人気で長蛇の列ができていた。昇塔券の販売がストップすることもあるので登りたい人はお早めに。
塔の基部から上を見ると、鉄管組みの躯体とエレベーターシャフトを取り巻く螺旋階段が楽しめる。
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展望台は2層になっており、下はガラス張り、その上はオープンデッキになっている。撮影するならガラスの反射がないオープンデッキ一択。
灯台でもあるので、デッキの上には灯室が。
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ここからは相模湾が一望できるが、夜なので陸の灯を見る方が楽しい。
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魚眼で足元を撮ってみると、無数のキャンドルがこちらも星のように。
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夜景もいいが、実は昇塔待ちの列とは別に2階のオープンテラスへ上ることができる。ここはソファなどが置かれゆったりと寛げる空間になっている。もう完全にデート空間だこれ。
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さて、すっかり暗くなった苑内を暖色の光が照らす。
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明かりだけでなく小物も配置されており、何も準備がなくても雰囲気ある写真が撮り放題。
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こちらは木から吊り下げる形で展示されていた。作家もののキャンドルであるらしい。
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小径の脇に並べられていたり、
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植木の枝にかけられていたり。
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箱を積んで高さを出している、フォトスポットエリアもある。
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うまくローアングルで狙うと、キャンドルとシーキャンドルを一度に収めることも可能だ。
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入口付近には、明治時代にこの場所に作られた温室の煉瓦積み遺構も。
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このあたりには雫型のガラス器に入れられたキャンドルもあり、透かして光る色とりどりのボケが楽しめる。
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苑を後に坂を下る。エスカーは上りだけなので、下りはひたすら坂と階段である。

夜の瑞心門。
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土産物屋もすっかり閉店。
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駅への橋から、海面に映る灯りを撮る。
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行きは大船から湘南モノレールを使ったのだが、山を越えるダイナミックな路線でジェットコースターよろしく上下左右に振り回されるのには些か閉口する。懸垂モノレールなのに地面すれすれを走って地上駅舎だったりトンネルくぐったりする興味深い路線ではあるのだが、帰りは小田急を使うことにしよう。
小田急片瀬江の島駅……なんだこの駅舎。瑞心門と同様に竜宮城イメージであるらしいが……
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快速急行に乗れば新宿までは1時間ちょっと。気軽に足を伸ばせる、素敵な観光地だ。

葛西臨海水族園と水上バス

建物老朽化のため移転するという葛西臨海水族園へ行ってきた。長いこと行動圏内に住んでいながら、訪れるのは初めてだ。
www.tokyo-zoo.net

新型コロナ禍のご時世、入園前に予約が必要だという。毎週土曜日を境に、翌週分を予約可能な仕組みになっている。
葛西臨海公園有楽町線との接続駅である新木場と東京ディズニーリゾートの最寄り駅である舞浜とに挟まれて快速の停車しない場所だが、公園は思ったより人で賑わっていた。

予約確認の後、チケットを買って中へ。木々の間を進むと、ほどなくエントランスが見えてくる。ガラス張りのドームの周囲は水を湛えた池になっており、水面の反射が楽しめる。夕焼けを写せたら楽しそうだが、なにぶん最終入場時間が16時なので撮影スポットとしては些か厳しい。
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開園当時はたいへん勢いのある水族館だったそうで、今でもその人気が衰えたわけではないが、近年の新興水族館のような目玉展示に欠ける印象は否めない。逆に言えば見世物的展示形態ではない、ごく真面目な水族館である。
予約制によるものか館内は人が多くなく、落ち着いて展示を楽しむことができる。今回は迂闊にも明るい中望遠を入れ忘れて30mm F2.8マクロと45-175mm F3.5-5.6を中心に撮影せざるを得なかったのだが、如何せん暗い場所の多い水族館内でコントラストAFでは、まともにピントを合わせるのも難しい。そういうわけで館内の写真は少なめ。
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客層は子連れ多めで、小さな子供たちが熱心に水槽を覗き込んだり奇声を発して走り回ったりしていた。
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ヒトデの隣に写る小さな手が可愛らしい。

東京湾の魚や水産資源の紹介ゾーンでは、上にキャットウォークが設けられバックヤードを見学できるようになっている。こういうのはとても良い試みだと思う。
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外には水辺の生き物に触れるゾーンがあるのだが、このご時世で接触を避けるため中止されていた。

ペンギンゾーンでは多数のペンギンがのんびり寛いでいるところをゆっくり観察できる。
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イワトビとフンボルトは同じエリアにまとめられているが、フンボルトがだいたい水面に浮いて毛繕いしているのに対しイワトビは陸上にいるか水の中を激しく泳ぎ回っている感じ。
王様はネットで区切られているのでちょっと撮りにくい。

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小さなペンギンが手前におり、幼生だろうかと思ったらフェアリーペンギンという種類だった。これで成体らしい。

こちらは海鳥展示エリアのエトピリカ。やけにヒトの方へアピールしてくるやつらだった。
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展示エリアの終端にレストランとミュージアムショップ。
レストランはレジャー施設の食堂によくある、トレイを持って並び注文品をその場で受け取り/棚にある商品を取ってレジへ進むタイプ。メニューは海産加工品推しで肉系は少ない。味の方も観光地によくある……スーパーの安惣菜ぐらいの感じである。正直言って、ここで食べるよりは出てから他の店に入った方がいい気はする。
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デザートはそれなりだったが、値段はお高め。

建物を出て出口方面へ進むと鳥類園と淡水生物コーナーがある。
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タンチョウがこちらに背を向けて立っていた。ぜんぜん動かないので諦めてカメラの電源落とした途端に羽を広げたので撮りそこねた。


園外には何箇所か、食事可能な施設がある。
海に面した全面ガラス張りの展望施設「クリスタルビュー」の地下にはカフェがありホットサンドなどを提供しているが、ここでは「ピクニックセット」としてホットサンドまたはハーフピザにフライドポテト・フライドチキン・サラダのセットを、バスケットとレジャーシートのレンタル込みで販売している。天気の良い日はそのまま海岸に出て開けた場所でランチにすると気持ち良いだろう。
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そのほか、バーベキューテントやバスを模した無料フォトスポットなども。こちらはウェディングスタジオによるものだそうで、公園での青空結婚式などを提案していた。
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kasairinkaipark-denim.official-wedding.jp


さて、帰りのルートとして今回は水上バスを使ってみた。アクセスだけで言えば鉄道を使った方が明らかに早いし安いのだけど、陸上からは見られない景色を楽しむことができると思えばこれはこれで悪くない。
時期的なものかどうかはわからないが、葛西臨海公園ルートは1日1往復しか便がない。
qrtranslator.com
これが夕刻のマジックアワーを撮るのに丁度良い時刻に出るのだ。いや季節的に丁度良かっただけかも知れないが、橋のライトアップ案内などもあったので元々それを想定した時刻で組んでいるのかも知れない。
そういうわけでお台場までの船上でひたすら写真を撮りまくってしまった。メモリーカード使い切ったのは初めてだ(予備を持っていて助かった……)。
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沿岸の工場やらガントリークレーンやら大橋やら、巨大建築趣味にとっても見所の多い船旅であった。

ゲーミングPCを買う

諸事情からゲーミングPCを購入することになった。家庭環境上の制約からデスクトップではなくノートを前提に、機種を選定する。

長くPCを使う仕事をしてきたこともあり、PCの基本的な構成については一応の理解があるものの、30年来のMacユーザであるためPC/AT機については些か疎い。ましてゲーム用のグラフィック環境となると、どの程度の性能が必要になるものかさっぱり解らない。
まずはその辺りを調査するところから始める。

ざっくり把握したところによると、描画性能としては概ね「1/60秒以上の速度」を目指すべきであるようだ。
液晶ディスプレイのリフレッシュレートとしては60Hzでは不足、144Hz以上が望ましい。
GPUの描画速度としては「プレイしたいタイトルがディスプレイの最大解像度で最低60fps、可能ならば120fps以上」。

以上を指標として把握したところで、次にグラフィックボードの選定に入る。ゲームを用いたベンチマークテスト結果を参考に、「だいたいこの辺まで性能があれば充分」と思われるラインを見極める。
thehikaku.net
ゲーム/環境によりけりなのだが、おおよその水準として「GTX1060以上あれば結構遊べる」「RTX 2060以上あれば割と安泰」という感じが見えてきた。
スペック的にはだいたいバス幅192bit、メモリ6GB欲しいところか。
btopc-minikan.com

その他、プレイングに関わる性能としてはキーボード配置などがあるが、こればかりは性能指標的なものを見出すのは難しそうに思われる。ただ、プレイ中に多用するであろうWASDやスペースなどの近くにある「Winキー」によって画面が切り替わりオンライン中に操作が途切れそうなのは気掛かりで、できればWinキー無効化機能のあるキーボードを求めたい。

ここまで見えてくると、だいぶ機種が絞り込める。
3年は追加投資なしに戦うことを前提に、CPUは第10世代のCore i7もしくは第3世代のRyzen 7系、GPUはGTX 1660TiまたはRTXの2060以上、メモリは暫定16GBを積むが最大32GB程度までは拡張できること(まあオンボードではないのでやろうと思えば自力拡張は可能だと思うが)。そして、Winキー誤動作防止に配慮したキーボードが組み込まれていること。
kakaku.com
価格.comは一覧比較するには便利なのだが、ディスプレイのリフレッシュレートやストレージ・メモリの最大対応量など確認したいところが微妙に欠けているのが惜しい。そういうところは1件づつ地道に調査するしかない。とりわけWinキーロックはもっとも確認が難しい。
なにしろゲーミングPCのキーボード、まずアピールされるのが「光る」なのだ。キーボードレイアウトがはっきり確認できる写真が掲載されている方が稀で、Winキーにロックが備わっているらしいことが見てとれるのは、左Winキーに鍵マークがあるASUS機と製品紹介ページではっきりとWinキーロック機能を謳うドスパラGARELLIAぐらいのものか。
また使用者当人から「持ち運びのために軽めの機種を」という要望があったため、重量は最大でも2.5kg以下とし、なるべく(予算と性能の許す範囲で)軽いものを選びたい。

ざっと当該機種が53件。最安が13.5万〜最高30万、中央値17万といったところ。重さで見ると1.77〜2.48kg、中央値2.25kg。そこで、この53件を更に「販売価格17万以下・重量2.25kg以下」で絞り込む。
kakaku.com
これで候補は7件にまで絞られた。
このうち、最安はGIGABYTE AORUS 5 SB-7JP1130SH、税込¥142,780。逆に最高額はTSUKUMO G-GEAR note N1574K-720/T 、¥164,780。価格差は2万2千円、最安値の15%近い価格差。
CPUスコアが高いのは8コアのRyzenを搭載したASUS ROG Zephyrus G15 GA502IU(このスコアがゲームにどの程度関わってくるかはちょっと不明だが)。
ストレージ容量に優れるのは1TB HDDも搭載しているiiyama LEVEL-15FX068-i7-RXSVI。最小はTSUKUMO G-GEAR note N1574K-700/Tの250GB、これはちょっとインストールできるゲーム数が制限されそう。
最軽量はドスパラのGALLERIA GCL2060RGF-T、1.85kg。最重量はiiyama LEVEL-15の2.24kg、差は390g、最軽量の21%に相当する重量差。
GPUについてはスコアがないが、下記のベンチマークスコアを参考にするならばスコア14428のRTX 2060を搭載したTSUKUMO G-GEAR noteかドスパラ GALLERIA GCL2060RGF-Tに対してGeForce GTX 1660Tiの小型モデルMax-Qを採用するASUS ROG Zephyrus G15はスコア10758と、およそ3/4の能力ということになる。
btopc-minikan.com

まとめると、以下のようになる。

メーカー 機種 価格差 重量差 ストレージ CPU GPU キーロック
ドスパラ GALLERIA GCL2060RGF-T +7.8% 最軽量 512GB Core i7 10750H RTX 2060
ASUS ROG Zephyrus G15 GA502IU +2.5% +13.5% 512GB Ryzen 7 4800HS GTX 1060Ti Max-Q
GIGABYTE AORUS 5 SB-7JP1130SH 最安 +18.9% 512GB Core i7 10750H GTX 1060Ti 不明
iiyama LEVEL-15FX068-i7-RXSVI +6.3% +21.1% 500GB
+HDD1TB
Core i7 10750H GTX 1060Ti 不明
TSUKUMO G-GEAR note N1574K-720/T +11.6% +18.9% 500GB Core i7 10750H RTX 2060 不明
iiyama LEVEL-15FX068-i7-RXSX +5.5% +21.1% 500GB Core i7 10750H GTX 1060Ti 不明
TSUKUMO G-GEAR note N1574K-700/T +15.4% +18.9% 250GB Core i7 10750H RTX 2060 不明

それぞれに強みと弱みがあるが、群を抜いて軽い重量とGPU、Winキーロックに優位性がある反面で弱点のないドスパラGALLERIA GCL2060RGF-Tが頭ひとつ抜けており、今回はこれを採用する方向で行こうと思う。
www.dospara.co.jp

2020/11/28追記:その後、購入をボーナス時期まで待っている間に、Ryzen5までしかなかったAMDモデルに新たにRyzen7モデルが追加されており、当初購入予定だったCore i7モデルに比べ50g差・ディスプレイが144Hz→120Hzという若干のスペックダウンはあるもののバッテリ持続時間3.8→8.8時間と飛躍的な改善の上で価格が1万安という、申し分ない スペックだったのでこちらに乗り換えることにした。

六義園、東洋文庫、旧古河庭園

『山手線で降りたことがない駅』トップだという駒込に行ってきた。散々な言われようだが、実はこのあたり結構な観光地で、駅のすぐそばに六義園、その向かいには東洋文庫ミュージアム、駅の反対側にしばらく行くと旧古河庭園と、意外に見どころが多い。

六義園

六義園は、駒込の駅からすぐのところにある。しかし、こちらの門は現在閉鎖されており、左側にぐるりと回らねばならない。

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躑躅の名所であり、また見事な桜の古木や、紅葉の時期も美しいと聞くが、この時期は紫陽花などが少し咲くばかり。

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とはいえ楽しみがないかというと、そうでもない。そもそも六義園は景色を楽しむ庭園なのだ。

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広々とした日本庭園は、それ自体が魅力的な被写体である。

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六義園は徳川五代将軍綱吉の側用人であった柳澤吉保が加賀藩下屋敷跡地を与えられ、7年の歳月をかけ造園したものである。六義園という名は紀貫之古今和歌集」序文に由来するもので、和歌に通じた吉保が数々の和歌に詠まれた紀伊の名勝地である和歌浦を中心とした風景をここに再現したものだという。そのため園内には和歌に由来した地名が点在する。

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明治になって、三菱財閥の創業者・岩崎家が購入し整備。のち東京市に寄贈され、現在は都営の公園として運営されている。

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かなり広い庭園である(都内では浜離宮に継ぐ面積を有する)ため、ひと巡りするだけでも結構時間がかかる。早めの行動をおすすめする。

www.tokyo-park.or.jp

東洋文庫

六義園の向かいには、もうひとつ岩崎家の関与した名所が存在する。
東洋文庫は、オーストラリア出身で20世紀の初頭にタイムズ特派員として中国などに駐在した英国のジャーナリストG.E.モリソンから、東アジア地域に関する2万4千冊の書籍を買い取ったものを中心として設立され、東洋に関する資料の収集研究を行なっている。

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入ってすぐ右手には庭園とレストランへ続くドアがある。

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回廊には各国の「名言」が白い文字で刻まれ、その下には地色と同色で日本語訳が書かれている。

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また、1階には倭国による百済新羅への侵攻を示す高句麗の広開土王碑拓文が、原寸サイズ(高さおよそ5m)のタペストリとして飾られていた。


2階は「モリソン文庫」を収めた書庫になっている。

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書庫は単なる飾りではなく、きちんと分類され、また企画に応じてここから蔵書を展示もする。

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現在は天文学の歴史を示した企画展「大宇宙展 Space Odyssey」が開催されていた。

www.toyo-bunko.or.jp

旧古河庭園

駒込駅から六義園側とは反対側に、少し離れたところにある旧古河庭園は薔薇園と日本庭園を擁する洋館である。

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日本初の公害事件で知られる足尾銅山を経営した古河財閥総帥の邸宅として作られ、鹿鳴館三菱財閥の岩崎邸などを設計した(関係性は薄いながら、ここでもまた岩崎の名が出てくる)、ジョサイア・コンドルによる設計である。

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盛りは過ぎていたものの、様々な薔薇を見ることができた。

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高低差のある庭は、富士の溶岩を積み上げた石垣によって隔てられ、日本庭園へと続いている。

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広大な六義園に比べれば1/3程度とはいえ、個人の邸宅としては贅沢に過ぎる広さ。

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邸内は別料金で見学可能だが、写真撮影は禁止とのこと。また現在のところ2階は公開されておらず、喫茶も休業していた。

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www.tokyo-park.or.jp

なお旧古河庭園の最寄り駅は駒込ではなく、地下鉄南北線 西ケ原、もしくはJR京浜東北線 上中里である。

おまけ:Jam Coffeeのパンケーキ

駒込駅から旧古河庭園までの道すがらにある喫茶店
フォークからこぼれ落ちそうなほどふわっふわのパンケーキが食べられる。

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飲み物もパックから注ぐだけの代物ではなく自家製ジンジャーエールや豆から選定したドリップコーヒーなどのこだわりよう。

jamcoffee.jp

電化以前の回転寿司

「電気がまだなかった頃は、回転寿司はどうやって回していたのか」という疑義が示されたので、近代以前の回転寿司についてまとめておこうと思う。

近代回転寿史

近現代に於ける電力の普及が、19世紀末の米国で発明王エジソンの設立したゼネラル・エレクトリック社から始まっていることは説明するまでもないかと思う。それ以前にも電池などの形で電力が利用されてはきたが、大規模なインフラの構築による継続的な発電および送電システムの普及により、寿司はようやく電気動力による回転というこんにちの形態を得たわけである。
ではそれ以前の社会に於いて、寿司はどのように回転されていたのだろうか。

18世紀〜20世紀初頭までの回転寿司を支えたのは、蒸気機関であった。初期の蒸気機関は、膨張した蒸気を冷却凝縮することによる負圧を利用した往復運動を利用していたが、酷くエネルギー効率が悪かった。これを大幅に改良したのがエネルギー単位に名を残すジェームス・ワットである。彼は蒸気機関の動作を往復から回転へと変換してみせることに成功、機械動力による回転寿司を実現させた。
この蒸気式自動回転寿司はたちまち好評を博し、労働者の食を支える重要な産業となった。いわゆる産業革命である。
ところで蒸気機関の発明は紀元前にまで遡ることができるが、初期のそれは回転軸を中心として互い違いに突き出したパイプから蒸気を吹き出して回転する装置であったので、回転動力への転換はある意味で原点回帰とも言える。もちろんこの原初の蒸気機関が寿司を回転させる目的で発明されたことは言うまでもないが、残念なことに些かパワー不足で実用的ではなかったようだ。

ワットの功績は蒸気機関を回転寿司の動力として利用可能なものに改良したことにあるが、動力回転式の回転寿司そのものはそれ以前から存在していた。当時は主に川の流れを用いて回転力を取り出しており、川沿いにいくつもの水車が軒を連ねていたという。水車の一部は動力としてのみならず、取り付けられた籠によって川から魚を掬い上げる自動捕魚水車として寿司の食材供給にも一役買っていた。
また、水場以外でも回転寿司が開店できるよう、犬を動力に用いる研究も行なわれていたようだ。

一方、こうした機械動力技術はなかなか東洋まで伝来しなかったため、江戸時代の日本では人力によって回転寿司を動かしていたという。

電動回転寿司の古代史

実は、電力の歴史は意外に古く、古代イランはアルサケス朝パルティアの遺跡から、紀元前250年頃のものと思われる電池が出土している。つまり人類は紀元前から既に電気を利用していたわけだ。何にかといえば、もちろん寿司を回転させるためである。電池による供給では永続的な回転は望むべくもないが、それでも人類はなんとか寿司を回転させるべく知恵を絞っていたのだろう。
とはいえ、イランの寿司はこんにち我々が想像する寿司とは些か趣の異なったものではあった。紀元前1千年前には既に当地で米の栽培が行なわれていたものの、この辺りで獲れる魚は主にティグリス・ユーフラテス水系の淡水魚であったので、寿司に使われるのも当然そうした魚肉である。当時はこれを酒と塩を混ぜた米に漬け込み乳酸発酵させることで酸味を与える、いわゆる「熟れ鮓」にするのが主だったようだ。

また、寿司の回転についても、現代にあるようなコンベア式ではなく、当時はまだ回転卓に寿司を並べるやり方であった。それでも、彼らの回転寿司に対する飽くなき追求は、最初の回転機構が古代メソポタミア文明で発明されていることからも伺える。スムーズな寿司の回転は副次的に轆轤や車輪へと発展し、文明を多いに賑わせた。

ところで、当時既に回転寿司の動力に電気を使っていたことは既に述べた通りであるが、そもそも電気を使って回転させることが発明されたのはもっと古い時代に遡るようだ。
まだ人類登場以前の20億年ほど昔には、赤道直下のアフリカで地中のウランに核分裂反応が引き起こされ、実に10万年以上もの期間にわたり発電が行なわれていた形跡が発見されている。人類ではない何者かが、同地で寿司を回転させていた証左であろう。
余談ながら人類はアフリカにて進化し、世界中で寿司を回転させるに至ったわけだが、その進化を引き起こすきっかけこそがこの地中原子炉からの放射線……というのは想像が過ぎるだろうか。