クトゥルフ神話TRPG人気の謎を探る

TRPGで今、クトゥルフが人気である。
たとえば2016年時点のコミケTRPGジャンルを見ると、クトゥルフが他タイトルに7〜10倍の差を付けている。
togetter.com
ニコニコ動画でのTRPGリプレイ系動画などを見ても、「クトゥルフ神話TRPG」タグの付いた動画の本数は「TRPG」タグの総数を上回る(つまりTRPGタグのない、個別タイトル動画がかなり多いということなので全数に対する割合が見えるわけではないが、勢いは伺える)。
その他いくつかの状況証拠からも、現在のTRPG界隈に於いて最も勢いのあるタイトルが「クトゥルフ神話TRPG」であることは疑いようがないのだが……正直なところ、ロートルTRPGプレイヤーにしてみればこの状況は不思議で仕方ない。少なくともクトゥルフ神話TRPG(の旧版である「クトゥルフの呼び声TRPG」)が登場した頃、これほどの人気は予想し得なかった。

クトゥルフ神話TRPGは、古いシステムである。
最初に米国で発売されたのは1983年、日本語版の発売は1986年。もう30年以上も前の設計だ。
現在の版は2004年のものだが、これでさえ15年前だし、そもそも30年前のそれとシステムはほとんど変わっていない。
もちろん「古いから悪い」というわけではないのだが、「進化していない」のは確かだ。他のシステムは、30年間のうちに様々な試みを取り入れ、新たな魅力を蓄えてきた。たとえばゲームマスタの負担を軽くして遊びやすくしたり、キャラに予め行動指針を与えておくことでプレイヤーが何をしてよいかわからず戸惑うことを防いだり、世界設定やジャンルを増やしてゲームの幅を拡げたり。
クトゥルフ神話TRPGにそうした新たな工夫はない。それどころか、今となっては固有の特徴、たとえば「正気度および狂気」のルールやクトゥルフ神話世界などについても他のゲームに取り入れられ、より進化し洗練されており、そうして見るとクトゥルフ神話TRPGには「これといって売りがない」ように思えるのだ。

いや別に新しかろうが古かろうが知ったことではなく、やりたい人がやりたいシステムを遊べば良いのではある。別に皆がクトゥルフ神話TRPGを遊んでいる状況にケチを付ける気はさらさらない(まあ業界的都合として特定タイトル以外への拡がりがあった方が嬉しいとかいう話はあるにせよ)。

ただ、どうにも「クトゥルフ神話TRPGでなければならない」理由が見えてこないというか、「人気になるべくしてなった感じがしない」ので落ち着かない。
というわけで「なぜクトゥルフ神話TRPGはこんなにも人気になったのか」を調べてみよう、というエントリである。

いつから人気になったのか

人気の要因を探るために、まずは人気が沸騰した時期を確認しよう。
ascii.jp
これは2014年時点での、ニコ動のTRPGジャンルに於ける動きをまとめた記事である。グラフを見ると、2012年初頭から急激にクトゥルフ神話TRPGが立ち上がっているのが伺える。この時期に何があったのだろうか。

ニコ動だけの現象ではない、ということを確認する意味も込めて、全体的な動きを確認してみよう。
TRPGの人気度を精確に測ることは難しいが、「クトゥルフ神話TRPG」に関して言えば言葉からある程度の推測が可能である。何故ならば、Cthulfuという単語の日本語表記が異なるからだ。
文学方面では概ね「クトゥルー」、TRPGでは「クトゥルフ」が使われているので、クトゥルフの語が使用される頻度を見ればTRPGの流行時期がだいたい解る、はずだ。
Googleトレンドで「クトゥルー」と「クトゥルフ」を比較してみると、当初ほぼ拮抗していたものが2008年末頃から若干の差が見えはじめ、2012年4月の大きなピークで引き離されたことが伺える。その後は2014年10月から上昇基調となり2015年10月にふたたび大きなピークを迎え、その後下降基調になったかと思えば2017年12月にまたピークを生じている。

では、これらのピークが何によって生じたのか、原因を探ってみよう。

前述の通り、クトゥルフ神話TRPG自体の発売は2004年。この時点では差がない、ということは特段盛り上がっていなかったと判断できる。

クトゥルフ神話 TRPG (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

クトゥルフ神話 TRPG (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

2008年には神格・神話生物大全「マレウス・モンストロルム」が刊行される。これが2008年からクトゥルフ優勢の原因……かどうかはわからない。
クトゥルフ神話TRPG マレウス・モンストロルム (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

クトゥルフ神話TRPG マレウス・モンストロルム (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

更に2012年初頭には現代社サプリメントクトゥルフ2010」が発売、これによってクトゥルフTRPGが一気に遊びやすくなり人気大爆発──なわけがない。それなら旧版時代の現代社サプリメントクトゥルフ・ナウ」の頃から大人気だったはずだ。
クトゥルフ神話TRPG クトゥルフ2010 (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

クトゥルフ神話TRPG クトゥルフ2010 (ログインテーブルトークRPGシリーズ)

再びニコニコ動画に視線を戻すと、このピーク以前にも何度かクトゥルフTRPG隆盛に繋がる流れが生じている。
まずは2008年のiM@STRPG動画「アイドルたちとクトゥルフ神話の世界を楽しもう!」シリーズ。
www.nicovideo.jp
ただし冒頭に挙げた記事にグラフを見ても、iM@S系はTRPG動画そのものの隆盛を牽引した立役者ではあったものの特定タイトルと結び付いてはおらず、この時点ではクトゥルフTRPGの流れを作ったとは言えない。
次に2011年3月、「ゆっくり達のクトゥルフの呼び声」シリーズ。
www.nicovideo.jp
「ゆっくり」は(少なくとも2014年までは)明らかにクトゥルフ神話TRPGとほぼシンクロしており、どういうわけかクトゥルフ=ゆっくりという図式が出来上がっていたらしいことが伺える。
もっとも、「ゆっくり」自体は2008年のSoftalk流行によって成立したキャラクター・アーキタイプであり、それ自体がクトゥルフを牽引したとは言えまい。むしろ、Googleトレンドで見る「ゆっくり」自体の言及頻度は(この言葉自体がごく一般的な語であるためにキャラクターとしての「ゆっくり」のみを抽出するのは困難だが)初出時のピークから2011年末頃までは下降基調であり、それが2012年の「クトゥルフ」のピークと共に上昇に転じているので、(関連性は不明なものの)「ゆっくりがクトゥルフを牽引した」よりはむしろ「クトゥルフによってゆっくりが牽引された」ようにも思われる。
すると、「これらの動画がクトゥルフ神話TRPGの人気を作った」わけでもなさそうだ。

結局この界隈に於いて2012年のピークがもたらされた原因は不明なままであったが、改めてTRPGおよびニコ動から目を離すと、どうやら原因らしきものが見えてくる:ピークの立ち上がり始める2012年初頭に発表されピーク形成の4月より放映開始されたアニメ、「這いよれ!ニャル子さん」だ。
www.tv-tokyo.co.jp
注意すべきは、この作品にはクトゥルー/クトゥルフは登場せず、従って直接的言及は見られないということ。にも関わらず鋭いピークの立ち上がり時期は本作こそが「クトゥルフ」言及数増大の原因であることを強く示唆しており、またニコ動に於けるクトゥルフ神話TRPGの急激な伸びもこの時期と完全に一致している。
つまり、どうやらニャル子さんの放映に伴うクトゥルー神話の認知上昇が、アニメと親和性の高いゲームジャンルから情報がもたらされたことで「クトゥルー」ではなく「クトゥルフ」を定着させ、また同時に主要情報源としてのTRPGに注目を集め、あるいは動画勢が知名度の上昇を背景に動画を量産する体制に入り、これが現代TRPG界でクトゥルフ神話TRPG一強という状況を生み出したのではないかと推測される。

なお2015年と2017年のピークはどうやら、モンスター・ストライク2周年で新キャラにクトゥルフが登場した時と、Fate/Grand Orderの新シナリオ「禁忌降臨庭園セイレム」が公開された時であるようだ。

なぜ人気は定着したのか

アニメ自体は2012〜2013年、OVAまで含めても2015年。また原作も2014年で完結しており、新たな盛り上がりを呼ぶ余地はない。にも関わらずクトゥルフ神話TRPGの人気は衰えない。
「アニメが人気を牽引した」のは良いとしても、それが放送終了後まで継続した、どころか現在でもなお盛り上がりを強めているのは何故だろうか。

これに関しては恐らく、(身も蓋もないが)「人気だから人気」なのだろうと考えられる。
ネコぶんこ「テーブルトーク・ロールプレイング・ゲームという趣味の縮小」という米国のTRPG業界分析記事があるが、この中でTRPGの価値を「ネットワーク性」、つまりは"君がゲームをプレイできるかどうかは、君が所属する社会的な繋がりのネットワークに依存する"と説明している。「人気作ほど遊べる機会が多く、遊べる機会が多いものほど買う価値があり、皆が買うものほどよく遊ばれる」傾向がある、と言い替えても良い。
また、これらはリプレイ動画に対しても言えることだ。どうせ投稿するなら閲覧して欲しいし、ならば人気ジャンルを狙った方が良い。同じジャンルにたくさんの動画があれば目にする機会は増え、それを入口に入ってくるプレイヤーはまずそのシステムを遊びたがるだろう。人気のポジティブ・フィードバック。

新たなTRPGプレイヤー層の遊び方と広がり

クトゥルフ神話TRPGの人気爆発以降にTRPGに入ってきた新しいプレイヤーに話を聞いていると、どうもオールドプレイヤーとは少し違った遊び方が見えてくる。

たとえばニコ動のTRPG動画をざっと見ると、「知名度の高いキャラにプレイヤーを仮託した」リプレイ(あるいはリプレイ風)動画がいくつも出てくるが、2011年頃まではTHE IDOLM@STERのキャラを流用した「卓M@S」シリーズや東方系など、主に女性キャラものが中心となっていた。これらキャラのファン層は主に男性で、従ってこの当時のユーザ層には男性が多かったものと考えられる。
しかし2012年からは黒子のバスケ、また近年ではおそ松さん刀剣乱舞など、女性に人気の作品が大きく盛り上がってきている。これは明らかに、TRPG界隈への女性プレイヤーの流入の証拠と言えるだろう。
かつてのTRPG界隈はかなり男女差著しく、少なくともコンベンションなど公的な場ではおよそ9:1ぐらいの比率だったと認識している。当時から「潜在的にはもっと女性がいるはず」と言われてはいたものの、身内のみで遊んでいるのか観測範囲に出てこない、という印象があった。
しかし現在の勢いを見るに、男女同程度──どころか男女比逆転しているのではと思わせるほどの勢いである。

そして、その結果としてTRPGに求められる遊び方にも変化が生じているようだ。キーワードは「なりきり」と「ウチの子再現」である。
「なりきり」とは要するに、オリジナルではなく既存作品に登場するキャラをPCとして作成し、そのキャラを演じることに重きを置くスタイルだ。
昔からある遊び方のひとつだが、「同卓の参加者全員が元作品の知識を有し、キャラを担当する形式に合意する」環境下でないと摩擦を生じやすく、従来はあまりメジャーな遊び方にはならなかった。これは、原作付きTRPGが定着しなかったことなどからも明らかだろう。
ところがオンラインセッション時代にあっては「同じ作品のファンで繋がる」ことが増えたためか、なりきりがスムーズに受け入れられる環境が整ってきた。あるいは逆に、「なりきりチャット」などの文化圏にTRPGが輸入されていった、とも言えるかも知れない。

「ウチの子再現」の方は、主に同人界隈を中心とした遊び方である。
仲間内で画や漫画、あるいは文章などで発表したオリジナルキャラである「ウチの子」を、親しい間柄の人が(あるいはキャラを気に入った人たちが)「描かせてもらう/描いてもらう」といった交流形態。その延長線上に、「ウチの子をPCとして登場させてTRPGを遊ぶ」という形式がある。

なりきりにせよウチの子再現にせよ、ゲームよりも先にまず完成されたキャラ設定があり、それをTRPGのシステムに応じたフォーマットに流し込む遊び方だ。ここで重要になるのはシステムや世界設定の魅力などではなく「どの程度のキャラ再現性を有するか」であり、むしろ独自の個性は邪魔とさえ言える。
この部分に、現代社会のごく普通の人を幅広く扱えるように作られたクトゥルフ神話TRPGはうまく嵌まったのだろうと思う。常軌を逸した特殊能力などはなく、しかしオカルト的技能や戦闘技術などのちょっとしたアクセントは盛り込むことができ、シンプルでわかりやすい。その上で「クトゥルフの神格/神話生物」という使いやすいフックがあり、正気度ロールというアクシデント機能だけでハプニングの面白さが演出できる、癖がなく手軽に遊べる身内向けのゲーム。
冒頭にて「クトゥルフ神話TRPGでなければならない理由が見えてこない」と書いたが、むしろ「強い理由がないからこそ、クトゥルフ神話TRPGが最適だった」のだ。