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言語災禍と生府前史

架空

英語圏を中心に世界中を災禍にひきずり込んだ「虐殺期間」。今ではそれがある種の言語汚染により引き起こされた脳の機能不全が原因であることが判明しているが、その嚆矢となった特殊部隊員の証言からわずか半年で、かつて世界一の大国であったアメリカは滅び、西ヨーロッパもまた災禍に見舞われた。言語の「意味」に仕込まれた深層文法はそれを見聞きした者の脳にわずかな影響を与えるに過ぎないが、彼らの紡ぐ言葉もまた文法下にあり、その影響を周囲に「感染」させてゆく。一人ひとりの影響は小さくとも、群集となった時その言葉同士の相互作用は急激に高まり、殺戮が発生する。
他言語といえども影響は皆無ではない。翻訳された言葉にもまた文法は忍び込む。もっとも、意識的にそれを操るのでない限り深層文法は徐々に崩れてゆくし、とりわけ言語の壁を越えるとその影響力は減衰しやすい。しかし深層文法は近い言語構造ほど影響力を保ったまま伝達するため、言語圏的にも文化圏的にも英語と近い西ヨーロッパ系はとりわけ甚大な被害を被った。
アメリカに端を発した災禍の影響をあまり受けなかった地域のうち、中東・南アジア・南アメリカ・アフリカ方面はそれ以前の時点でこの「文法」を発見した言語学者ジョン・ポールによる工作でほとんど崩壊しており、既に国の体を成している地域は少なかった。
かくして世界の大半は虐殺の渦に滅びたが、その最中にあって奇跡的に影響をほとんど受けなかった地域が、東南アジア圏である。

特に日本は、親米地域であるためジョン・ポールによるテロの対象にもならず、また言語的な独立性の高さから英語感染の影響をほとんど受けずに済んだことにより、当時の先進国では唯一その災禍から守られる結果となった。最終的に「虐殺の文法」を解明し災禍を終息させたのも日本の研究によるものだったし、その副産物として日本は「言葉や行動から思想傾向を特定し、脳の『虐殺野』の活動兆候を検出する」技術を開発するに至った。今日サイマティック・スキャンと呼ばれるこの技術は加害の発生を事前に抑制することを可能にし、刑法の観念を根底から変えてしまった──もっとも、この時点でまともな「刑法」などというものが機能している国はもうほとんどなかったが。

サイマティック・スキャンは日常的な認証監視網によって成立する。各監視機器範囲内での統計的な傾向判別と機器が捉えた個人識別情報を重ね合わせることによって「地域ごとの加害発生可能性」と「加害発生可能性の高い地域にいる個人」の抽出を行ない、重点監視対象を絞り込んで詳細なスキャンを行なうことで「潜在犯」を炙り出すのがその基本的な仕組みだ。
当初は犯罪抑止を目的とした仕組みではなく、あくまで国内に蔓延していた自殺や自棄的犯行など「社会性ストレスから発生していると思われる問題」へのケアとして研究が進んでいたためにこの統合監視システムは厚生労働省が所管していたが、後にその作用機序が「虐殺の文法」と同一のものであり、半端で非実用的な英語教育により英語圏からの感染が「弱く広範に」生じたことによる自滅的作用であったことが判明するにつれ、同システムはストレス緩和目的ではなく加害犯罪阻止目的へと変化してゆく。「文法」の致命的影響は既に万人の知るところであったから、これを抑え込むことは急務であり、そのために厚生労働省「シビュラ・システム」には最大の権限が与えられ、ここに司法と行政が実質的に一体化した強大な「国民監視制度」が成立した。

そもそもグローバル経済の時代にあっては国内のみで自給自足可能な国などほとんど存在していなかったが、とりわけ島国であり国土資源に乏しい当時の日本は、必要物資の大半を輸入に頼っていた。
言語災禍による世界経済の崩壊は、直接の影響を被らなかった日本をも否応なしに飲み込むことになる。ここに至って日本はついに、前大戦の愚挙を原因とする永きにわたる呪縛を捨て去る決意をする。すなわち「他国への侵略」である。
もはや組織的軍事力を残す国などほとんどなく、それは容易く実現する。とはいえ呪縛の影響は強く、日本はあくまで「平和維持のための駐留」という建前を貫き、現地に政権を樹立して政情を安定させ、交易経済を確保することに専念した。

「虐殺の文法」を制圧するには、脳機能の継続的モニタリングが不可欠であり、そのためには社会全体の統合監視体制を形成する必要がある。つまりは「シビュラの輸出」を行なう必要がある。そのためには監視可能な社会を再構築せねばならないが、流石に国土全体にそれを短期間で構築するのは難しい。そこで国の中枢に外と隔絶した「治安の安定した監視都市」を構築し、ここに人を集めると共にシステムの適用範囲を徐々に広げてゆく手筈を整える。日本は治安という最大の輸出品と引き換えにあらゆる資源を得ることになった。

当初は紛争の続く地域へ治安を輸出していた日本の活動は、治安安定地域の広がりと共に徐々にその方向性を変じる。認証監視システムの副産物、というよりも災禍以前の本来の形に立ち戻った、「健康な肉体と健康な精神の維持」である。災禍の過程で大きく数を減じた人口を取り戻す必要性からも「個人の命は社会のリソースである」という生命主義思想が広まり、それに合わせて「健康状態の監視」と「健康を維持するための精神干渉」が大っぴらに行なわれるようになってゆく。こうした「サービス」の提供は、従来の政治活動統合体である政府に対し生命活動統合体として「生府」と呼ばれ、やがて国という枠組みに縛られない新たな社会規範体制が成立したことで、「災禍」以前から生き残った唯一の国であった「日本」はその役割を終えた。

後書き

ふと「虐殺器官×PSYCHO-PASSが成立するのではないか」と思いついたので書いてみた。以前シビュラシステム論集 - 妄想科學倶楽部を書いた時は「どうやって犯罪係数を検出しているのか」について突き詰めなかったのだが、「虐殺の文法」による脳内意識モジュールと言語/行動の相互作用が規定できるならばサイマティック・スキャンの仕組みが説明可能ではないか、という発想である。ついでに崩壊した世界のその後に劇場版サイコパスを絡めてハーモニーまで繋げてみた(ハーモニーは元々虐殺器官と繋がっているのだけれど)。

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

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ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

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