劇場版を見る前におさらいする屍者の帝国

「原作未読で今から読める気がしないけど映画を見に行こうと思ってるので勘所だけ押さえた解説が欲しい」人のための、あるいは「原作未読で映画観たんだけどよくわからないところが色々あるので簡単な説明が欲しい」人のための、ちょっとした記事を書いてみた。
解説するのは映画に登場しながら説明されていないモチーフだけで、ストーリーについては基本的に触れないが、それでもネタバレは含まれざるを得ないのでその辺注意。
なお、ここでは主要なモチーフについて軽く解説を加えたのみに留まっているが、「原作読んだけどよくわからない」という人は用語集をどうぞ。

重要なモチーフ:「フランケンシュタイン、もしくは現代のプロメテウス」「チャールズ・バベッジディファレンス・エンジン

ヴィクター・フランケンシュタイン博士によって100年前に創造された「最初の屍者」ザ・ワンが、いわゆる「フランケンシュタインの怪物」であることは明らかだが、その元となった物語は日本ではあまり知名度が高くないので、ちょっと紹介しておこう。
「生命の謎を研究するフランケンシュタイン博士は、『完全な人間』を作るために繋ぎ合わせた死体に生命を吹き込むことに成功した。創られた「ザ・ワン」は優れた体力と人間の心、そして知性を持ち合わせていたが、その存在を恐れた博士はザ・ワンを追いて消える。生き延び、言葉を得たザ・ワンは博士の元に辿り着き、孤独を訴えて伴侶の創造を要請するが、怪物の増加を恐れた博士に拒絶されたため、絶望から博士の縁者を次々に殺害し逃走。復讐に燃える博士はザ・ワンを追って極圏まで到達するも息絶える」
原作ではアレクセイとの会話内でこの内容に触れ、ザ・ワンの求めた「花嫁」や博士の手記の行方などの重要情報が示唆されるのだが、映画では完全スルーされている。

バベッジは「コンピュータの発明者」。電気的な機構を持たず歯車やリンク機構などの機械的構造のみで演算を行なう「階差機関」を発明、更にそれを汎用化した「解析機関」を構想したが資金が得られずに実現しなかった。読取と記録に自動織機のパンチカードを流用することを思い付き、またこれは単なるデータではなくそれ自体がプログラムを兼ねた。
この世界では解析機関が実現しているだけでなく更なる発展を遂げ、英国ではロンドン塔全体が巨大な超解析機関になっており、また各国がそれぞれに巨大解析機関を運用しているようだ(映画に登場したのは米国のポール・バニヤンだけだったが)。

知っておいた方がいいモチーフ:「カラマーゾフの兄弟」「シャーロック・ホームズ」「未来のイヴ

物語前半でワトソンがその足取りを追うアレクセイ・カラマーゾフ、その道案内をするニコライ・クラソートキン。彼らはドストエフスキーカラマーゾフの兄弟」の登場人物である。父殺しの嫌疑をかけられ、シベリアへ流刑される兄ドミートリィ、信仰による家族の和解を模索した末弟アレクセイ、アレクセイに心酔する少年ニコライ。カラマーゾフの兄弟それ自体よりも、ドストエフスキーが構想しながら書かれることのなかった「続編」的な位置付けが、このシーンに組み込まれているので、知らなくても映画の理解には問題ないが、知っておくとちょっと楽しい。

主人公ワトソンが「シャーロック・ホームズ」のワトソンであることは、エンドロール後のシーンからも理解できると思うが、彼はホームズと出会う前に軍医として英領インドに渡り第二次アフガニスタン戦争に従軍しており、この時の傷が元で足を傷めている。映画内でも、最初にインドからアフガニスタンへ向かう中で英国陸軍の屍者兵交戦シーンが描かれているが、これは第二次アフガニスタン戦争のシーンだし、終盤でワトソンが足を撃たれているのもその設定に則ったものだ。ついでに言えば原作だと「M」は明らかにシャーロックの兄マイクロフトなのだが、映画の方では弟に言及することもなく悪役として死んでいるので、どうやら別人らしい。

ハダリーは1886年の小説「未来のイヴ」に登場する人造人間。「アンドロイド」という語を最初に用いた作品で、ハダリーとはペルシア語で「理想」を意味する、完璧な美貌を持ちながら品性の欠如した歌姫を模倣して創られたアンドロイドの名。なおエンドロール後に「今はアイリーン・アドラー」と名乗るのは「ボヘミアの醜聞」でホームズを出し抜き、ただ一人「あの女性」と呼び一目を置かれる人物で、表向きはオペラ歌手を生業としている。歌手を模倣し歌手になった、だからこそハダリーは「声なき声で屍者をコントロールできる」のかも知れない。

実在の人物:バーナビー大尉、山澤少将、グラント、エジソン

バーナビーは6フィート4インチ=193cmぐらいの大男である。とんでもない冒険野郎で、なにしろ軍属なのに何故かタイムズ特派員としてスペイン内戦やスーダン遠征を取材してたり、かと思えば休暇中に「ふと思い立って」単身で冬の中央アジア〜ロシアを踏破してみたり(後に「ヒヴァ騎行」として手記を出す)よくわからんが豪快な人物。

山澤少将は太い眉の人物として描かれているが、実際はむしろ髭の立派な人物であったようだ。1877年にロシア=オスマントルコ間で発生した露土戦争では観戦武官(当時は第三国が戦争の経緯を見届ける風習があった)としてロシア帝国軍に同行中、プレブナ要塞攻略にて思わず参戦してしまったという逸話がある。なおこの戦争は終始トルコ側がgdgdだったのだが、プレヴナ要塞のみ妙に粘り強く、「屍者の帝国」世界ではその原因が英国から密かにトルコへ供与された屍者兵技術によるものということになっており、「そんな事実はありません」とワトソンが英国の公式見解を伝えるシーンとして描かれている。

グラントは南北戦争を勝利に導いた優秀な北軍司令官にして汚職まみれの元アメリカ合衆国大統領、史実でも1879年に国賓として訪日しており、天皇に謁見している……のだが映画版ではその辺あんまり関係ない。

エジソンは発明王としてよく知られているが、晩年は霊界通信機などオカルトにもかなり傾倒していた。ハダリーの元ネタである「未来のイヴ」では人造人間を発明したことになっており、映画内でもハダリーが父と呼んでいる。