アブストラクトな「定番ゲーム」の謎

ボードゲーム」という括りには、大雑把に分けて3つの階層がある。ひとつは囲碁や将棋などの「伝統的なゲーム」、それから日本では20世紀中頃から販売されてきた定番ゲーム、たとえばモノポリーや人生ゲーム、あるいはオセロやダイヤモンドゲーム、ウノなど。そして20世紀末から広まった、とりわけ「カタン以降」のドイツゲーム類。
まあ伝統ゲームは普通「ボードゲーム」と言われて思い出すものとは些か異なるように思われるのでこの際除外するとして、しかし「定番ゲーム」と「カタン以降」の間の溝は深い。
大きな違いは「アブストラクト」だ。

アブストラクトというのは抽象を意味する語で、つまりボードやカード、駒などに具象的なイラストなどが用いられず、単純化された記号や図形などで構築されるものの総称だ。
ボードゲーム専門店などでは、アブストラクトなゲームの取り扱いはかなり少ない。近年では例外的に多数の賞を獲り注目された「ブロックス」がアブストラクトの成功事例として知られるが、これはかなり珍しい方だと思う。
ところが、国内玩具メーカーの出すボードゲームに於いては何故かアブストラクトの割合がかなり高い。こちらから見ると「売れないものを出している」ような印象があるのだが、玩具メーカー側としてもマーケティングなしに商品開発しているわけでもなかろうから、勝算があってのこと、むしろ「アブストラクトでないと売れない」ぐらいの感覚を持っているのではないかと思う。
この認識の差はどこから来るのかを考えてみる。

ボードゲームの市場規模について明確な資料はないが、国内ボードゲームの市場規模 - 卓上遊戯創造館別館によれば2005年度の玩具市場に於いてアナログゲーム類は約95億円の売上となっている。
この記事中では(あくまで推測ながら)ドイツゲーム類に対して定番ゲームの市場規模を2倍以上と見積もっている。根拠というには弱いが、とりあえず他に頼れるデータもないのでこれを前提に話を進めよう。
「定番ゲーム」というのはそんなに数がない。デパートの玩具売り場などでもよく見かけるこの手のゲームはせいぜい10種類ぐらいだろうか。まあ時事ネタなどを取り込み頻繁にヴァリエーションを展開する人生ゲームをどう捉えたものかちょっと悩むが、とても大雑把に言えば45億の市場規模に対し10種類程度の定番があるのだとすれば1種類あたりの年間売上は平均4億5千万ということになる。
対して我らがドイツゲームはというと、数年越しで売れ続ける定番タイトルというのはほとんどなく、毎年数十種類のゲームが現れては消える状況だ。まあこれは国内に限ったことではないようだが、とまれ1タイトルあたりの売上となると良くて数千万〜1億に手が届くかどうか、程度だろうか。1タイトルあたり5000円だとすれば売上を多く見積って1億としても2万個に過ぎない。
対してオセロは過去40年間で2370万個だそうなので年間平均60万個近い。まあこれはあくまで平均であって、現在の売上はもっと低いかも知れない……が、それでも10万を下回るということはなさそうに思われる。オセロの価格はかなり幅が広いが、恐らくスタンダードなタイプで2000円前後、4億5千万の売上があるとすれば22万5千個、いい線ではなかろうか。
つまり、タイトルあたりの売上数でも売上額でも、ドイツゲームと定番ゲームの間には5〜20倍ぐらいの差があるわけだ。
従って、こちらから見て「売れないゲーム」と思っていたこれらアブストラクトな定番ゲームは実際には「大ヒットしたボードゲーム」よりも遥かに売れているゲームであり、故に大手玩具メーカーが気紛れに「本格ボードゲームの販売始めました」と言ってみても、メーカーから見ると微々たる売上しか出ない、ということになる。そりゃ定着しないわけだ。

ところでこういうアブストラクトな定番ゲームを一体誰が買っているのか考えてみると、もう一つ浮かび上がるものがある:割合マニアなボードゲーム愛好家であっても定番ゲームの少なからぬものには触れた憶えがあり、うちいくつかは自宅にあったりもしたのではないかと思うが、その中に自分で購入したものはあっただろうか?
多分、そういうゲームを買ってくるのは親や祖父母など、「子供に遊ばせようと思った」人たちだ。「自分で遊ぶために買う」ドイツゲームとはそもそも客層が異なる。
また、恐らくはコンピュータゲームとも縁遠い人たちだろう。コンピュータゲームに親和性が高い層は子供にもそういうものを遊ばせることに躊躇いがないが、ゲームを「悪いもの」と感じて育った層などでは「知育的な遊び」に見えるアナログなゲームに手を出すことがあり、その中でも「ギャンブルと無関係そうなもの」、「遊びというよりパズルめいたもの」の方に価値を見出す……のではないかという、これはまあ私の予想に過ぎないが。

とまれ、近い存在に見えても両市場はそもそも分断されて何の接点もないわけで、それらを同一視すると(どちら方面にも)見誤るね、という話。