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屍者の帝国 用語集VIII

屍者の帝国

目次

第二部

V

ファルケンシュタイン城
バイエルン国王ルートヴィヒII世が構想した山頂の宮殿。史実では資金難から道を整備したのみに留まり、その後国王自身の死により未完のままとなったが、本作世界では王は死んでおらず宮殿は完成しているようだ。これもまた、織り交ぜられた架空存在のひとつである。
ルートヴィヒII世
第4代バイエルン国王(1845-1886)。王としての執務を嫌い多数の宮殿建設に国庫を浪費したことで知られ、狂王と呼ばれた。普仏戦争の後、徐々に奇矯な行動が目立つようになり、1886年に家臣により逮捕、廃位。翌日、水死体となって発見された。本作世界内では存命。
ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー
ドイツの指揮者、作曲家(1813-1883)。歌劇の作曲で知られ、台本の執筆も手掛けた。
神々の黄昏
歌劇『ニーベルングの指輪』4部作の最終作、不死の英雄の争乱と死が描かれる場面である。
ニーベルングの指輪
史実では1876年にワーグナー自身の主催するバイロイト音楽祭にて全曲を通しての初演が行なわれているが、ここでは完成したファルケンシュタイン城を初演の舞台とし、また舞台演出に屍者を起用しているようだ。
コンセリェイロー
本名アントニオ·ビセンテ·メンデスマシエル、ブラジルの宗教指導者(1830-1897)。政情不安や旱魃などを背景に貧民層の支持を集め、北東部バイーア州奥地のカヌードスに共同体を形成。史実ではこの後1897年に軍が住民3万をすべて虐殺したが、本作世界ではまだその事態には至っておらず、また自発的屍者化コミュニティという別の方向性が語られている。
民兵隊壮年団制定法
米国で1878年に制定された同法により、国内の治安維持に軍の動員が認められないことになったため、自治体警察が自発的に成年男子を訓練、保安官の元招集して暴動等に対処する必要に迫られた。恐らく本作世界内ではPMCなどと契約して軍用屍兵を駐留させることになるのではなかろうか。
アララト
ノアの方舟が漂着したとされる山だが、ここではその名を冠したユダヤ系のシンクタンクが存在している設定。
ニュー・イスラエル
史実ではイスラエルの(再)建国は1948年のことで、この時代はまだ存在しないが、1891年にロシア帝国で「新イスラエル」を名乗る新興宗教が勃興している。これと本作のユダヤ系シンクタンクが名付けた自治領に関係があるのかどうかは不明。
グランド島
ナイアガラ瀑布の東、二本に分かれた河に囲まれた大きな島。→地図
ポトマック
解析機関は固有の名称とは別にしばしば所在地で呼ばれているようだ。ポトマックと名の付く地名はいくつかあるが、当時の北軍が用いていたという記述から考えるにワシントンDCから10kmほど南のヴァージニア州ポトマックではないかと考えられる。→地図
アンクル・サム
頭文字U.S、アメリカ合衆国を擬人化した架空の人物であり合衆国の象徴的キャラクター。→画像
グラン・ナポレオン
史実通りならばこの頃フランスはナポレオンI世及びIII世が退位して第三共和制へと移行した時期だが、その中にあって国の情報化を支える解析機関にナポレオンの名を与えるというのも妙な話に思われるので、この時期まだナポレオンIII世が廃位していない状態なのかも知れない。その契機となった普仏戦争が行なわれていないと考えると、ルートヴィヒII世が健在であることとも符合する。
テンペスト
ウィリアム・シェイクスピア最後の劇作品。嵐の魔法による復讐劇。最後に劇中人物が観客へ呼び掛けるというメタな構造を取る。

VI

ラグビーフットボール
英国の寄宿生私立校であるラグビーでフットボールから派生した球技。当時のフットボールは統一ルールがなく派生の余地を残していたが、1863年にロンドンの12クラブ間でルールの統一が図られ、この時ボールを持って走る行為の禁止に反発したクラブが脱退、別種の競技として成立した。

VII

算学
日本に於ける数学は7世紀頃の中国から輸入されたものに始まるが、以降基本的には実用数学の範囲にあった。しかし江戸時代に入り「遺題継承」というムーヴメントが起こり、「答えを明かさず問題を公表し、解かせる」パズルとして人気を博したことから実用外の数学が急速に発達、鎖国にあって海外からの情報流入が全くない状態にも関わらず、西洋数学に比肩する高度な発展を遂げた。
トーマス・アルバ・エジソン
米国の発明家・起業家(1847-1931)。蓄音機の発明や電球の改良で知られる。晩年はオカルトに傾倒、霊界交信機の研究を行なった。

VIII

パリ万博
1867年開催、万博としては5回目、パリでの開催は2回目。各国からの出展品だけでなく売店や遊園地などを併設し、「祭り」の側面を強く打ち出した。また幕府及び薩摩藩が(別個に)出品し好評を博し、ジャポニスムを知らしめた。
徳川昭武
水戸藩最後の藩主(1853-1910)。徳川慶喜の名代としてパリ万博への使節団を率いた(当時14歳)。
渋沢栄一
実業家(1840-1931)。大蔵省官僚として国立銀行の設立に関与、1873年に王子製紙1878年東京株式取引所、1879年東京海上保険、1882年東洋紡績株式会社、1885年東京瓦斯会社、及び(後の)麒麟麦酒株式会社、1886年札幌麦酒株式会社、1890年に帝国ホテル……など今日にも知られる多数の企業設立に関わった、日本の資本主義社会の立役者として知られる。
大村益次郎
幕末の医師、兵学者(1824-1869)。軍制の組織化・用兵で戊辰戦争を勝利に導き、新政府にあっては兵部省の長として軍の近代化に尽力、陸軍の礎を築く。1869年、廃刀と軍制の改革に不満を持つ士族らに襲撃され重症、手術の甲斐なく敗血症のため死去。
アレクサンダー・フォン・シーボルト
在日英国公使館の通訳、お雇い外国人(1846-1911)。ドイツの博物学者・医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの長男。通訳、翻訳官、書記官などを務め明治政府に於ける対外条約改正交渉などに携わる。
楠本イネ
日本で最初の女性産科医(1827-1903)。フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの娘で、シーボルトの国外追放後に門下生から西洋医学を学び、また大村益次郎からオランダ語を学ぶ。
エドガー・アラン・ポー
米国の作家、詩人(1809-1849)。恐怖小説や暗号小説などを著したが、とりわけ世界初の推理小説とされる「モルグ街の殺人」で知られる。
リッチモンド号
グラントが世界周遊に使用した船。USS RIchmond(1860)ではないかと思われるが、同船の履歴に記載なし。記録によればグラントが世界周遊に出発したのは1877年、79年6月21日に長崎に到着、神戸でのコレラ流行を受け7月2日に横浜へ入港している。ワトソンとの会談は丁度この頃だろう。