蒸気装甲戦闘工兵開発史

グレイヴが初めて用いられたのは1854年である。当時、英国はクリミア半島にてロシア軍と激しく衝突、これは近代化された軍同士の初めての大規模戦闘となった。
近代戦に於ける大きな特徴は「すべての兵が銃を装備していること」である。白兵突撃を基本としていた中世の戦闘と異なり、銃火戦闘では身を晒した側に圧倒的な不利がある。そこで防御陣地として、地面に溝を掘り砲火を避ける塹壕が用いられた。
塹壕には兵士が完全に身を隠したまま移動可能な深さが求められる。およそ深さ、幅とも2m以上が要件であるが、これを兵士が手作業で掘るには相当な労力を要する。交戦前の陣地構築だけで1週間以上を要したこともあったようだ。
あまり時間をかけていては構築前に砲撃を受けかねない。また自軍の準備が早期に整えば、それだけ大きなアドヴァンテージを得ることになる。そこで考案されたのが、蒸気機関による塹壕掘り用の作業機械であった。


蒸気式塹壕掘り機はボイラーと燃料室、操縦席からなる箱型のボディ下部に掘削装置を備えた脚歩行機械であった。動輪ではなく脚歩行方式を採用したのは不整地での運用と塹壕内外の昇降を想定したためである。この大きな機械は大変な重労働から解放された兵士たちに好評を以て受け入れられ、その形状と作業内容から「グレイヴディガー(墓掘り人夫)」と通称され、しばしば略して「グレイヴ」と呼ばれた。
グレイヴが戦闘に転用されるまでに、そう時間はかからなかった。陣地の野戦重砲を牽引するにもグレイヴの力は便利だったし、軽砲ならば本体に搭載してしまうのも難しいことではない。ボイラーの圧に耐えるボディは重く頑丈で銃弾程度には耐えられたし、脚歩行機構は敵陣地の踏破にも威力を発揮した。かくして蒸気装甲戦闘工兵が誕生し、これらは正式に「グレイヴ」と呼称されることになる。


クリミア戦争当時は10名ほどで運用されていたが、現代のグレイヴは自動化が進み次第に搭乗員が少なくなっている。重グレイヴでは工兵長、機関士、操縦士、砲術士、通信士の5名運用が一般的であるが、中グレイヴでは工兵長と通信士、機関士と操縦士が兼任で3名運用、近年では装甲と火力を犠牲にして機動性を高めた一人乗りの軽グレイヴが開発されており、これらが砲兵、騎兵、歩兵を置き換えつつある。


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