掛け算と漢字と「理不尽」について

また「掛け算の順序」問題が盛り上がっている。数十年前から繰り返し繰り返し問題になるのに、何故か一向に解決を見ない、根が深くて面倒な話だ。
掛け算の順序が入れ替え可能であることは大人なら誰しも知っているが、掛け算を定義するのに、あるいは子供に概念を説明するのに「掛ける数と掛けられる数」という話をするにあたり「順序」を教えることがあるらしい。それだけならまだしも、「順序を守っているかどうか」で子供が掛け算を理解しているかどうかを見る、ということが当然のように行なわれている。


「3人が4個づつ林檎を持っている。林檎は全部でいくつか」3×4=12、で良さそうなものだが、指導では「づつ」が付く方を先に書かねばならぬ、何故ならこれが一纏まりの数であり「掛けられる数」だからだ、ということになっているようで4×3=12と書かなければ×にされるという。
おかしくないか。3×4という式も12という答も正解であるにも関わらず、「教えた通りでない」というだけの理由で不正解とされるのだ。
たしかに「掛け算の問題である」というだけの理由で、とりあえず出てきた数字を順番に並べて掛け算してみるだけの、「問題文を読解していない」子供がいる可能性は否定しない。だが「順序を守った」子供が読解の上でそうしているとも限らないし、「順序を守らなかった」子供が読解できていないとも限らない。そういった可能性をすべて無視して「教えた順序通りかどうか」で判定するというやり方は要するに教師の手抜きであり、しかもそれによって「一部の生徒を峻別しようとするあまり他のところまで問題が出ている」ことになる。
読解力を養うのであれば、例えば問題文の中に無関係な数字を埋め込み「大人5人と子供3人がいます。大人はりんごを2個、子供はみかんを4個持っています。(1)りんごは全部でいくつですか(2)みかんは全部でいくつですか」などとすればいいではないか。


似たような話は他の教科でも見ることができる:国語の「習っていない漢字を使ったから不正解」だ。
掛け算の話も漢字の話も、要するに不正解とすることの根拠は唯一「教師の持っている学習指導要領を逸脱する」という、純粋に大人の都合である。子供は大人の都合に振り回されて正解であるはずのものを不正解にされるという理不尽を味わうのだ。しかも、これらは後になって「やはりあれは不正解ではなかったのだ」ということが当の子供にはっきり認識される。これほどの理不尽が他にあろうか。


私は教育関係者ではないので「何故、学習指導要領がそのように制定されているか」については知らない。考えもなしに理不尽を押し付けているのか、それとも弊害を認めた上でなお利の方が多いとした結果なのか。あるいは利害をどのように算定しているのか。そういう背景については全く知らないので、踏み込まない。
ただ、どのような理由であれ、私は子供に理不尽を押し付けることを断じて許容しない


ひとつ確認しておく:私は、掛け算の概念を教えるにあたり「こういう順番で考えるとわかりやすいよ」といった指導をすること自体を拒絶するものではない。まして「習うべき漢字をすべて一度に教えろ」などというつもりは毛頭ない。
私が拘り続けている問題は「教えたことと違うという理由で、正解であるものを不正解として扱うな」ただその一点である。順序と異なる式であっても正解は正解。習っていない漢字であっても正解は正解。それを不正解とすることにどんな正当性があるというのか。
「学習指導要領にそう書いてあるから」以外の理由がないのであれば、まずその指導要領を改訂すべきであろう。