啓蒙家を啓蒙する

先日から某コミュニティの管理を引き受けた。
ここは表向きの目的とは裏腹に極めてニセ科学傾向の強いコミュニティである。それが結構な人数を集めていることについては危機感を覚えており、以前から継続的にコミットしてきたのだが、管理人自身にその傾向が強いこと、また揉め事を極度に恐れるメンタリティから議論が発生する→コメント削除、削除に抗議→トピごと削除、管理人に直接メッセージ→IDブロック、などと独裁的かつ排他的な運営が成されており、非常に活動し難い状況にあった。
ところが管理疲れから氏がコミュの削除または移譲を宣言したため、私が引取人として名乗り出た。5000人近い規模のコミュを徒に空中分解させるのは忍びないし、今までのように必要な議論も行われぬ状況を改善できれば事態が好転するかも知れない、と期待してのことである。


さて、上述の通り議論を許さぬコミュとして運営されてきた場であるからして、参加者の大半が議論というものに慣れていない。間違いの訂正と人格の否定が混同されかねないほどの状況、というのが私自身の認識なのだが、そこへかつてはブロックされていた「懐疑論者」と、コミュとの親和性が高くブロックされてはいなかった「陰謀論者」が論争を始めるとどうなるか。
当然ながらこの流れは大半の参加者に無視され、また少数が不快感を表明する事態となった。


陰謀論やオカルト、スピリチュアル、その他ニセ科学と自然崇拝が入り交じった諸々の横行うするコミュであるから、湧き出るトンデモをきちんと指摘し流れを正すことのできる人材は不可欠なのだが、「無闇に喧嘩を売る」ようでは却って逆効果なのだ。
正しい意見であれ、押し付けては嫌われ敬遠される。ましてや議論を知らぬコミュである、当面の間は間違いの指摘すら必要以上に回りくどく、攻撃の意思がないことを明示しながら、下手に出てゆくしかない。
……ということを再三にわたり説明してみているのだが、一向に聞く耳持たぬのはどうしたものか。


我らニセ科学批判の大きな敵は「善意」である。本人は良かれと思ってやっていることが、周囲に迷惑を及ぼし、場合によっては多大な被害をもたらしかねない、それをどうやって止めさせるか。
しかし批判者の側にも同様のことが言えるのだ。善意のつもりであっても、その正義感が却って相手を意固地にさせ、状況を悪化させることが有り得る。「俺は間違ったことを言ってない」ではない。発言内容が間違っているかどうか以前に態度が、手法が間違っているのだ。


ニセ科学批判への批判のひとつに「相手をやり込めたいだけではないのか」というのがある。これはニセ科学を批判するという行為そのものへの批判にはなっていないのだが、しかし態度についての批判としては成立している。
実際、少なからぬニセ科学批判者が「言質を取って相手の退路を断ち自滅に追い込む」ような手法を好む。これは同じ話のループや無限後退戦術を採りがちな相手の撃退には有効なのだが、あくまで「防衛」時の戦術であって、「侵攻」時には占領後の現地住民との軋轢までも考慮した戦術が必要なのだ。眼下の敵を撃破することに夢中になるあまり全体を警戒させてしまっては元も子もない。


充分な知識と論理的な明晰さを供えてはいても、感情に配慮するメタ合理性を供えていない批判者があまりに多い。意外なほど文意の解釈と感情の推定能力は低いようで、批判者同士でもしばしばすれ違いを続けていたりする辺りは頭良いのか悪いのか。
と、まあこれは自戒半分ではあるが。