外因性であれかし、という願望

自閉症の原因は予防接種」という"仮説"がある。実際には可能性を示唆するデータすら存在しないまったくの事実無根なのだが、妙に根強く流布し、英国ではこれが原因で92%だった麻疹の予防接種率が80%を割り込んで大問題になるなど、社会的には大きな害を与えている。実際には自閉症は先天性のものであり、「後天性自閉症」という説はまったくの妄想である*1


予防接種拒否派の意見を聞いてみると、かなりの割合で「自然罹患で死亡または重篤化するのは運命だが予防接種で死亡または重篤化したら親の責任(だから接種させたくない)」という声がある。無論これはあらゆる意味で間違いであって、一般に自然罹患による発症確率は予防接種による発症確率より遥かに高いし、また発症した時の死亡または重篤化可能性も、弱毒性のワクチンに較べ自然株への感染では遥かに高くなる(病種により数字は異なるが、少なく見積っても100倍は違う計算になる)。従って「ハイリスクを承知で予防接種を受けさせなかったこと」こそが親の責任であり、「予防接種にも関らず/その副反応で重大な災禍が生じたこと」の方がむしろ"運命"と考えるべきだ。


両者で共通しているのは「子供に振り掛かった過酷な状況を他人のせいと考えたい」という心理に思われる。「運命」では気持ちのぶつけようもないが、予防接種によるものならば国を恨むことができる。裏を返せば、悪者がどこにもいないのであれば生みの親たる自分の責任になってしまう、その重圧に堪えられないということだ。
勿論、子供が障害を持って産まれて来ようと生後に「確率的に避けられない」リスクによって障害を負おうと、それは何ら親の責任などではない。責任の問題になるとすれば、むしろ「自分のせいじゃない」と言いたいがために無根拠な妄想に逃げ込むことの方だろう。
とは言えあまり強く責めるのも酷ではある。このような心理状態に陥ってしまう原因は周囲による「お前のせいだ」という圧力にある。未だ浅からぬ障害者への差別や乳児哺育中の「片時も油断を許さぬ」圧迫感によるストレスから来る鬱様症状など、社会環境が親をそのように仕向けている面は強い。考えようによっては、乳幼児医療の発達により昔のように簡単に死ななくなったこともその一助になってしまっているのだろう。子供の死が身近であった時代にはそれこそ「運命」で諦めるしかなかったものが、今やほとんど起こらぬ「事故」になってしまっていることで1件あたりの重大性が大きく異なってしまった。医療としては喜ぶべき状態だが、社会がそれに追従できていないのだ。


結局のところ、トンデモ説に歪んだ希望を見出してしまうことさえ(ある面では)親の責任ではなく社会問題である。真に問題視されるべきは親を外圧から解き放てずにいる社会構造と、その不安に付け込んであることないこと吹聴する下卑たオカルト医療ビジネスの連中であろう。最早これは「個人の思想の自由」の範疇ではなく、それに優越する「公共の福祉」の問題になってしまっているように思えてならない。

*1:無論、科学に「絶対」はないので今後それが証明される可能性を完全否定するものではないが、少なくとも現段階では何の証拠もない事実無根の説であり、仮説というより妄想と呼ぶのが相応しいと言える