未知への疑念

議論が交わされる/されたある分野について、素人ながらに疑問を持つことはあるだろう。そうした時に、疑問をはっきり口にすることが躊躇われる環境というのは原則として望ましくない。むしろ、その疑問が識者によりきちんと解説されるのが望ましいと思う。
ただ、それは「訊いて理解できる場合」に限られる。いや、理解できないことを理解し口を挟むことを止めるというならそれはそれで良い、のだが……
問題は、「素人なのにこの問題について何か言える」と思ってしまう場合だ。もちろん世の中に絶対はないのだが、可能性は天文学的に少ない。自分がその数少ない例外に当て嵌ると自負するのであれば、それは既に素人の域を遥かに越えた研究の道を歩んできたか、さもなくば単に傲慢かのどちらかだろう。


例えば、科学に疎い人がよく陥る誤解のひとつに「相対性理論ニュートン力学を否定した」というのがあるが、これは正しくない。
正確には「ニュートン力学でフォローできない範囲を扱う新たな理論として相対性理論が登場した」と言うべきである。同様に、量子論相対性理論を否定するものではない。
これらはいずれもその道を極めた一握りの学者によって発見されている。従来理論を隅まで理解し尽くしたものだけが、その先にある未知なる領域への扉を開けるのだ。
相対性理論は間違っていた」などと謳う本は何冊もあるが、それらは皆相対性理論を隅まで理解した上でそう書いているわけではない。逆に「全然理解できないから間違っているに決まってる」という愚かな思い込みによって、珍妙な新理論を妄想しているに過ぎない。ちょっと理科の得意な子なら、中学生だって誤りを指摘できるだろう。


科学に限らず、あらゆる分野に於いて、議論され尽くし定説が成立した分野に素人が口を挟む余地などどこにもない。「わからないので詳しい人教えて下さい」以外の形で何か言えると思うなら、まずは定説を完全に理解するまで研究してからにするように。