図書館ベストセラー問題を考える

図書館が扱わなくなったからってそんなに書籍を自費購入することはないよなぁ。予算も保管場所もそうそう増えないわけで、単に読まなくなっちゃうだけなんじゃないだろうか。そうやって「本離れ」が進んだら、一番困るのは作家自身だ。
もっとも、ベストセラーの多数購入に関しては疑問もある。ベストセラーの話題性というのは基本的に瞬間的なもので、数年経過するともう求心力は薄れてしまう。そんな一過性の現象に多くの予算とスペースを割くことで他の本がそれだけ削られているわけで。
利用者からはいつまで待っても借りられないことへの不満が出るだろうとは思うんだけど、そこは割り切って「1種1冊」を貫いてはどうか。
そうすれば利用者としてはより多種の本を読めることになり、ベストセラー作家側としては予約順を待ち切れない人による購入の増加が見込める。唯一「金は出したくないがベストセラーを早く読みたい」人だけにデメリットがあるのだが、まあ割合としては全利用者中の1%にも満たないぐらいだろう。根拠はないが。


もっと良い方法がある:ベストセラーは電子化して、e-bookリーダで貸し出しするのだ。これなら1冊分で何人にも貸し出し可能だし、場合によってはDRMによる貸し出し期間制限を付ければWeb経由で広く貸し出すこともできるから専用端末を多数揃える必要すらないかも知れない。ただ現行著作権法的に図書館を主体とする複製行為がどう扱われるか、という問題はあるが。


ところで町田私立図書館の反論から引用すると

ベストリーダー100の購入費が、図書購入費総額に占める割合は、4.86%に過ぎず、ベストリーダー100の貸出冊数が、図書貸出総冊数に占める割合は、1.34%でしかない

とあるが、これを見るに1.34%の需要を満たすために4.86%の予算を使っている、つまり効果に対して3倍のコストをかけているわけだが、これはちょっとバランス悪いんじゃないだろうか。
それに、5%と書くと少ないようにも見えるが1/20だと考えると意外に多い。5%弱だから1/21ぐらいか。他の書籍20冊につきハリポタ1冊の計算。すごく多くないですかそれ。ハリポタだけで5%というわけではなく上位100の合計だから、この表現は正しくない。


何にせよ、私としては特定の書籍だけを特別扱いする理由を見出せない。まあ過去の貸出実績やリクエスト数に比例して購入しているのだというような言い分もあるのかも知れないが、それだと大半の書籍は購入数が0になってしまいはしないだろうか。「貸し出しが多く傷み易い」というが、「読めなくなったら新しいのを買う」の方が明らかに無駄がないし、購入理由としても適正だ。また「余ったものは販売しているので費用の無駄ではない」との言い分についても、すり切れた古書の放出で得る利は微々たるものであり数十冊の購入に費した予算に充当するほどのものにはなり得ず、他の書籍購入を少なからず圧迫していることは否定しようがない。
またベストセラー作家に対しても、「図書館を規制したところで古本の回転数が上がるだけ」とは言っておきたい。期待した程に売り上げが変化するようなことはないだろう。図書館で借りるだけで済ませる本というのは所詮「読みたいとは思うが手元に置くには値しない(資金/スペースに見合わない)」程度の作品ということだ。ベストセラーほど一過性人気の割合が高い、というのは穿ち過ぎだろうか?
これが「自分の本ばかり買わずに他の本をもっと置いて欲しい」との趣旨だったら随分意味合いが違ってくるのだが。