ニセ科学批判の科学的効果


そもそもニセ科学批判活動の効果というものは、測定したり検証したりできるものなのだろうか? 有効かどうかもよくわかっていないものを、彼らは“いいと信じて”やっている、ということなのだろうか? もしそうだとしたら、それって、彼らが批判するものたち(たとえばホメオパシー)と、その点じゃたいして変わらなくね?って思ったんだった。
……は?
いやあの、科学的見地からの批判の土俵はあくまで自然科学範囲の話で、従ってその責任範囲も自然科学に留まるのだけれど。
それを社会学の方面から見て批判されても困る。
大体、科学者だからって活動のすべてを科学的に処理しているわけじゃない。時には政治的立場から発言し、時には非科学的な物語に興じ、時には道徳的見地から行動する。そのいちいちを「科学的にどういう効果があるんですか」なんて問い詰めることに何か意味があるだろうか。
「経済学者が政策批判とかしてるけど、それで結局どの程度の経済効果を挙げてるの?」と訊いたり「医学がある時とない時の差を科学的に測定したデータがないから医学は非科学」とか主張するのと同程度に意味がない。


そもそも「ニセ科学」という現象自体はまったく科学的ではない。従ってそれに対する一連の活動もまた、それ自体は科学の範疇では扱えない。ただ、ニセ科学が主張している内容には科学で扱える範囲が含まれるから、科学はその部分だけを取り上げて検証してみせるに過ぎない。
言うなれば、ここでは科学は唯の道具なのだ。ニセ科学が科学(的であるように見えること)を道具として利用している以上、それを批判する側もまた科学を道具として利用する形での「社会活動」を展開するしかないのだ。


無理にニセ科学批判の効果を科学として考えるならば、それは予防接種のようなものと言えそうだ。
予防接種は予め免疫を付けておくことで伝染病の流行を防ぐ効果がある。ただ、適切にその効果を発揮するには95%を越える免疫保持率を達成し、集団そのものが免疫を発揮して伝染をストップさせる必要がある。実際に、イギリスではワクチンに対するデマから接種率が10年で92%→80%に低下、発症数は24倍にもなった
逆に言えば、現在のニセ科学大流行状態は、要するにニセ科学免疫保持率の低さが問題なのだろうと思う。ニセ科学を広める講演が行なわれたとして、それを聴講した人のうち95%が信じなかったら、まあ能動的に聴きに行った人たちだから高確率で信じてしまったとしても、周囲に広まらなかったら、大したブームにもならず収束する。
しかし現在はマスコミなどを通じてむしろニセ科学を信じる土壌を広めてしまっている。この恐るべき感染力に大し、批判者は有効な手を打てずにいるのが現状なのだ。
その状態を見て「効果なさそうだから科学的にニセなんじゃね?」などという批判はまったく的外れというものだ。