生きてゆくのに必要なこと

どうも先日の「働かずに食べてゆける社会」関連のエントリに対するブクマコメントなどの反応を見る限り、人は労働せずに食べてゆくことを禁忌と見做しているようだ。
皆、そんなに働きたいのだろうか。


我々は「働かなくても生きていける社会」で生きていけるほど慎ましくなれるのだろうか?残りの99人は「ごくつぶし」であることを従容するのだろうか?そして選ばれた1人は社会を食わせ続けることに飽きずにいられるのだろうか?


誰かに必要とされずとも生きていけるほど、人「間」は強く鈍くあれるものなのだろうか?

  • 人件費がタダになっても食い物や石油は有限。その有限物をどう分配する?と考えた時にこの話は簡単に破綻すると思うのだけど。仕事で得ているのは貨幣ではなく「有限物を分けてもらえる権利」と考えてみる。
  • ああ、家畜人ヤプーの世界ね。
  • 全般的に甘すぎ。thereisnofreelunch.タダより高いものはない。タダにはそれなりに理由がある。働く価値がなくなるなんてトンデモナイ!でもトンデモって変に説得力があるから広まるんだよなあ
  • これのどこが間違っているかちゃんと反論できないと、世の中に騙されるっていうことかな。
  • もし,少数精鋭の労働者だけが働く時代になったら,彼らは何を求めて働くのだろう.働かない者は,何を求めて生きるのだろう.

  • 個人的にはこっちのほうが納得してしまった
  • そのとおり。
  • "アンカテ"の嘘臭いエントリに対する反論。説得力はこちらが上。まじめに働いて働かないニートに富を分配するなんてイヤだわ。
  • こっちのほうが納得。てか当たり前。コメはどんな有能な人間でも年に1回しか収穫出来ない。そういう物理的制約があるわけで

今のところ、働く目的は「生きてゆくため」だ。衣食住を不足なく賄うためには働かざるを得ないようになっているから働く。しかし実際にはそれほど多くの労働力が必要とされているわけではなく、ほとんどの企業は半ば以上福祉として、無能な社員も雇って労働に見合わぬ対価を払っている。
既に社会は"まじめに働いて働かないニートに富を分配"しているし、そうなった理由は彼らが真面目に働こうとしないからではなく、そんなに仕事がないからだ。
今のところ食料生産の効率は劇的な変化を見せていないから、その方面では今もそれなりに労働力が必要とされているが、それでも大陸の平原では機械によって広大な面積を一人で担当できているし、将来的にはもっと工業的に処理されてゆくだろう。いずれ食料の合成だって不可能ではあるまい。
エネルギーにしたところで効率の良い新方式が得られれば事情は変わってくる。石油燃料から原子力へ、原子力から更なる新方式-----例えば核融合へ。


ところで働く必要のなくなった人は何をするのだろうか。大半の人はただ遊んで暮らすのかも知れない。けれども、それでは飽き足らぬ人々が必ずいる。今や衣食住の不足はない、けれどもそれ以外ではまだ不足がある。自分の理想と異なっていることの不満。そうした人々は自主的に、その問題を解決し始める。
たとえば満足できる作品がない、ならば自分で作ろう。今の技術はもっと改良できるはずだ、なら自分が。
衣食住が保証されるが故の自主的な進歩。自らの需要を満たすためだけの労働。それこそが、労働の本来の姿だ。
得られるものは自身の満足と、精々周囲からのちょっとした栄誉のみ。それで充分ではないか。
全員がそうなれるものかどうかは知らないが、少なくとも私は、"誰かに必要とされずとも生きていける"と思う。


すべての労働が消滅することはないだろう。どうしても必要な立場というものは残る。けれどもそれはある種の名誉を伴うものになり、需要を供給が下回る-----誰も働き手がいない、ということにはなりそうにない。