汝利益を以て信仰するなかれ、御心の理解能わざれば

キリスト教的神学の行き着く先は「神を理解してはならない/ただ在るがままに受け入れよ」ということになるようだ。まあこれはこれで正しい信仰のありかただろう……というか「善き神だから」信じるというのは言い方を変えれば「利益があるから」信じるということで、そういうGive&Takeは純粋な信仰としては適切でなく、「何があろうと信じる」のが正しいということか。狂信的でもあるが。
山本弘に拠れば*1ヨブ記で語られる神の非情な仕打ちとその顛末は誤訳だということだが、神学的にはむしろあの結末が適切ということかも知れない。