「成長率」の醜怪さ

経済指標として一般的に用いられる「成長率」の強欲さが恐しい。


一般に、企業とは成長を義務付けられた存在である。単に「社員を養う」だけなら一定の利益を確保し続ければ済む筈だが、実際には常に利益を拡大し続けることを求められる。誰に?株主にだ。
株というものは本来、出資により利益の分け前を貰う権利を得るためのものだから、一定の利さえ出ていれば株主にも一定の利が保証されて、それで収まる筈のものである。しかし実際には、株の主な価値というのは株価による資産価値であって、配分はさして問題にされない。
株価を上げるにはどうすれば良いか:単純に言えば需要が供給を上回れば良いわけだが、その為には皆が値上がり期待して入手したがる株にならなければならず、それには大きな利益を上げて高値の配分が期待できる業績が必要になる。つまり、株式会社は株主の要請に基づき利益を追求する必要があり*1、そのためには貪欲に成長し続けなければならないのだ。


ところで「成長率」は極めて貪欲な指標だ。
売上額から必要経費を差し引いて手元に残るものが「利益」。これを毎月/毎年積み上げるだけでも充分に「成長」と言えるのだが、それでは飽き足ない貪欲な指標として存在するのが「利益率」、これだと元手が増加した分も上乗せせなばならない。例えば元手1,000万に対し10%に当たる利益100万を得たなら、次の月は+100万ではなく1,000万+100万の10%である110万、これで利益率としては等価ということになる。
そして成長率は、更にその上を行く。利益率の伸び率を見るのだ。つまり、1000万に対し100万を得て10%、次の月が110万だと10%:10%で成長率としてはゼロだ。ここで121万の利益を出してはじめて10%:11%で成長率10%となる。「成長率の上昇」ともなれば更に……


実際のところ、人口は有限であるから、市場もまた有限であり、どこかで頭打ちになるのは必然。そうなれば後はシェアを喰い合うしかない。どこかが成長すればそれだけどこかが割を喰う。なのに成長率の上昇を要求すること自体が無茶な話で、それしか見ていない株式市場を見ているとどうも鬱々たる気分になってくる。
日経新聞なんて読んでいると、人間段々おかしくなるんじゃないかという気がしてきた。

*1:義務として株主に最大の利益を保証する必要があるらしい