ゲーム業界の撞着

PS3(をはじめとする次世代機)のグラフィック性能が市場の要求を遥かに上回っている(イノヴェーションのディレンマ的現象)のは既に指摘のある通りだが、PS3ではそれに加えてBlu-rayというもう一つのオーヴァースペックがある。
一体、これまでに幾つのタイトルがDVD-ROMの容量ギリギリまで使い切って来ただろうか。どれほどのソフトが、PS2の性能限界まで引き出して作られているだろうか。そもそも、面白いゲームを作るためにはそこまでの開発リソースが必要なのだろうか。


売れたゲームの続編を開発する時、開発陣は常に「前作より凄く」という漠然としたプレッシャーを背負う。
凄く。何が凄いのか。グラフィック?シナリオ?システム?規模?何でも良いから「凄く」!
そうした期待のかかるゲームは既に結構「大作」なので、目に見えて凄くするのはなかなか難しい。「前作より面白いもの」とは言っても、面白さというのは付け足しで簡単に得られるようなものじゃないから、いきおい安易な方向に逃げがちだ。
そこで必要とされるのが、例えば「規模」。「マップがこんなに広く!」「前作を上回るヴォリューム!」「アイテム・魔法・敵の種類はXX以上!」そのためには単純に容量拡張が必要だ。
また、見た目のインパクトはどんな言葉よりも説得力がある。25色(FC)より256色(SFC)、256色より32000色(PS/SS)、32000色より……粗いドットから美麗なグラフィックに、2Dから3Dに、ポリゴンはより細かく透明度や反射率の計算も!そうやって要求される計算量も増えて行く。
それだけの機能を、少ないリソースをやりくりしてなんとか実現しようとするより、簡単に実現できるプラットフォームがあるならそれを使うというのは当然の選択だろう。
つまり強力な新ハードは時代の要請ではあるのだ。だけれど、それは別にユーザーの要請ではなかったということ、またソフトメーカーからの要求の一端が「逃げ」にあるということ、をハードメーカーもソフトメーカーも認識しておかねばならない。


任天堂ニンテンドーDSで、スペック的には劣っていても新奇性があればゲームとしての魅力で勝負できることを痛烈に印象づけた。
実のところ、それ自体は他メーカーも気付かなかったわけではなく、だからこそPS3にはモーションセンサー付きコントローラーが付くのだし、Xboxはひたすらインターネット対戦機能にこだわっているのだ。にも関わらず、任天堂のように潔く新奇性だけで勝負するということもできず、つい派手にアピールし易い演算性能や最新フォーマット採用を打ち出してしまう。それは逃げだ。
ソフトメーカーが安易に新ハードの性能に頼るのと同様、ハードメーカーは安易にカタログスペックに頼っている。どちらもアピールが簡単であるというメリットと引き換えに、生産コストの増大というデメリットも引き受けることになる。果たしてそれは採算の取れる選択なのだろうか。