信者というレッテル

「○○が言ってた(から、確からしい/疑わしい)」という判断に意味はない。どんな人でも間違うことはあるし、また正鵠を射ることもあろう。一つ一つの言動について個別に判断されるべきであって、それを発した人物についての情報は精々がところ傍証に過ぎない。
同様に、信者であるか/あったかどうかの情報がその人の発言の価値に影響する謂れはない。仮に(過去にそうであったと報じられたように)情報操作を目的として発信していた節があるにしても、それは情報ごとに判断されべきものであって全ての情報を疑う根拠とはならないし、仮令情報操作目的のものであったとしても虚偽の情報でない限りは(或いは虚偽であったという事実さえも)情報としての意味を失うものではない。
私は宗教全般に対してかなり否定的ではあるのだが、それは自分または自分に近しい人物への勧誘その他の宗教的アプローチに対する態度であって、他人の信仰まで否定する気はない。それがどのような性質のものであろうとも。


わざわざ明記するほどのものでもあるまいが、どうも否定的見解が多いようであるのが気にかかったので。